2019年08月06日

ではどうすればよかったか(「DQYS」評5)

最悪のラスト10分を削除するとして。


ふつうに、リュカがゲマを倒す物語として完成させる条件としよう。

何が必要だろう?

動機だ。


悪の帝王、ゲマの動機が描かれていない。



ゲマのデザインは素晴らしく良かった。
手だけ飛んでくのも良かった。
門を開かんとした時、
顔と手だけになり、
消失していく様もよかった。

シナリオ的な問題は、
「そこまでして、何故ミルドラースを蘇らせたいか?」
だ。

世界を破滅させたいのだろう。
では何故か?だ。


ゲマはずっとマーサの結界を、
メラゾーマ的な何かで打ち破ろうとしていた。
そこまで彼を駆り立てる、
世界を破滅させたい理由について、
この物語は決定的に足りない。

彼は悪役だ。

つまり、我々の側であるリュカと、
反対の理由である必要がある。
それがアンタゴニスト(敵対者)の物語的役割である。


仮に、いじめられっ子だったとする。

誰も助けてくれない、
彼にとっては世界が暗黒だったとしよう。
だから彼は世界の破滅を望みとしたとしよう。

そこに悪魔がつけこんだ。

我を復活させればそれを叶えよう。
我と契約するか?と。

悪魔は代償を要求する。
ゲマの下半身でもいいし、
子供ゲマの飼っていたモンスターの命でもいいし、
両親でもいい。

それと引き換えに魔法を授けるから、
その力で天空城をつくり門を開けよと、
悪魔が囁いたとする。

彼にとって、この世界に生まれたことが不幸で、
それは無くなってしまえというのが彼の目的。

こうすれば、
リュカの「この世界は続いて欲しい」
という欲望と対比できるので、
アンタゴニストとして成立することになる。

たとえばそれは、
「生家を焼き払う」エピソードで対比できる。
故郷の街まるごとでも構わない。
そうすればラスト、焼き払われた街が、
人々の力によって再建されている姿を描けて、
「人はこの世界を続けようとする」
が浮き彫りになるはずだ。

リュカとゲマの対比の最も強い所が、
生家を焼き払われ、石化される場面になるため、
シナリオのボトムポイントとして機能しただろう。


物語はこうやって構築するものだ。
足りない部分はなにか、
余計な部分はなにかを、
理論と照合して盛ったり削ったりしていく。
理論はテンプレでなく柔軟な形をしているから、
型にはめればおしまいではない。
物語は形を持たないが形を持っている、
という感覚はそこから来ると思う。


もちろんこの解はひとつの可能性であり、
別解があってもよい。

ゲマをアンタゴニストにせず、
魔王ミルドラースをアンタゴニストにしてもよい。
その場合ゲマは傀儡キャラになるだけで、
しかしミルドラースが姿を見せるのは、
セオリー通りミッドポイント直後になるだろう。
ミッドポイントは記憶によれば結婚だったから、
その直後に門から手でも出てくればそうなるはず。

こうした場合、ミルドラースに、
世界を破滅させたい動機を作らなければならない。
天空の勇者との因縁が必要とは思われる。
そうした場合、天空の一族の長いストーリーが必要になり、
再び同じ一族に倒される、
宿命のような円環がテーマになって来るかもしれない。

しかしそうなると、
リュカやビアンカ、パパスや息子などの、
人間の家族の物語が薄れそうなので、
前の版がオススメかもしれない。


また、ヘンリー王子の伏線があまり効いていない。
樽に乗って脱出するところまでは最高だったが、
王国に帰った後ラストに軍団を引き連れるだけでは、
友情の物語としては不十分。
ビアンカとの結婚式に来て、
一度ゲマと交戦するなどの小エピソードが欲しかったところ。

あるいは、息子に剣を教えたのはヘンリー王子で、
石になったリュカをサンチョとともに、
苔が付かないように磨いていた、
なんて黄金パターンもありだろう。

フローラについても物足りない。
魔女に化けていたのは良かったが、
その後がないのが勿体ない。
案外強い女になっていて、
ヘンリー王子とともに、金持ち軍隊を引き連れて、
クライマックスに戦う女として再登場すれば良かったのに。
(ヘンリー王子とフラグを立たせても良い)

いずれにせよ人間サイドは、
「この世界をもっと良くしようとしている」
ということが伝わるといいと思う。
アンタゴニストと対比的であればあるほど、
動機は強くなる。
ヘンリー王子の部下たちだってロボットじゃなくて人間だ。
彼らにもそれぞれに動機があるんだからね。


これらのエピソードを採用する尺は十分ある。
ラスト10分削るんだから。
全尺103分だから、さらに10分伸ばしても問題ない。



物語はテーマである。
テーマを中心にコントラストをつくり、
主人公とアンタゴニストを対立させる。
この構造できちんとつくれば、
王道の勧善懲悪型になり、
カタルシスもあっただろう。

ここから逃げた山崎版は許すべきではない。
ラスト10分のゴミをとり、
きちんと再構築するべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 15:46| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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