2019年08月10日

【薙刀式】実戦の文章とタイプウェルの違い

ゲームはゲーム、と割り切ってやっていたタイプウェル。
やっぱ実戦とは違うなあとは思っていた。
どこが違うのか考えてみる。


ここでいう実戦とは、
ブログの文章を書いたり、
原稿(僕の場合は脚本、小説、およびプロット)を書いたりなどの、
比較的思考の深いものに限る。
一度に書く量としては1500字以上を目安にするとしよう。

これ以下の文字量なら、配列やキーボードの影響は少ないと、
僕は考えている。
薙刀式は長文用だ、というのはその想定する実戦が、
一回の作業で1500字以上、
たとえば一日最大2万字程度で、
月10万字程度を考えている。

その想定とタイプウェルは全然違うものだ。
じゃあどこがどう違うのかを、
比較してみようと思うのだ。


・考えた言葉か/コピーか
・前のに関連した言葉か/ランダムか
・論理展開優先/認識と指先の感覚優先
・ここで終わりだと自分で決める/280字
・頭の中に構成がある/頭を空にする
・マラソン/60秒以内の戦い
・論理展開に都合の良い指遣い/名詞に限った指遣い

のような論点があると思う。



・考えた言葉か/コピーか

僕は「実戦」にコピー打鍵を含めない。
プロタイピストや文字起こし専門家、字幕作業者などは、
実戦に含めないと考える。
それはそのうち機械に代替される仕事であり、
(音声入力が成長しつつある)
創作打鍵が人間独自の仕事だと考えるからだ。
そういう意味でいうと、
「機械のように正確に打つ」ことに僕は価値を見出してないのかも知れない。
文章を書くとは試行錯誤の連続であることが、
僕の前提だ。

自分で考えた言葉を打つとき、
当然だけどその言葉の意味を考えている。
頭は意味で支配されている。

ところがコピー打鍵のときはそうではない。
コピー打鍵のコツは、「意味を考えないこと」だ。
意味を考えていては遅くなる。
模様から模様の変換器に自分をしていくとき、
余計なことに時間を割かなくて済む。
タイプウェルはスポーツでもあると思う。
無心になれた時が一番速い。

逆にいうと、
文を書くとき、頭の中に渦巻く沢山の煩悩から、
ただ一つの論旨の糸を整理しながら引き出すことをしている。
頭の中の学級会と、
無人の荒野ぐらい、意識の置き方が違う。


・前のに関連した言葉か/ランダムか

思考とは連想である。
数々の連想の中から意味をなす断片だけが、
思考を連続させる。

従って文章というのは、
前に書いたことが現在に影響を及ぼす。
むしろその関連付けこそが思考だ。
だから文章で出てくる言葉は、
単独で出てくるより情報量が少ない。
前との関連分減っている。

逆に情報量最大とは、ランダム出現のときだ。
タイプウェルを速く打つには、
前の単語の影響を消すことだ。
逆に前の言葉がこうだから次はこう来る、
と構えると、そうでなかった時のダメージは大きい。
フラットに、無心に、次の言葉に対応するべきだ。

文章とは、なるべく次に出て来る言葉の情報量を減らすために書くものだ。
それを「流れ」というのかもしれない。

対比的に、タイプウェルに流れはない。
(乱数の偏りはあるかもしれない)


・論理展開優先/認識と指先の感覚優先

創作文章を書いているときは、
従って、論理展開が頭の中を占めている。

一方タイプウェルのときは、
指先の感覚が全キーを支配している状態を作り、
今打っている言葉の次の言葉を認識している状態
(先読み)を作るべきだ。

意識の集中している箇所がまるで違う。

反証するのは簡単で、
タイプウェルのワードでとっさにストーリーを作りながら打ってみると良い。
ランダムに無心に構えた時より遅くなるだろう。

人は、意味の発生で脳を使うと体が鈍くなる。
両方は同時に最高性能を発揮できない。
(頭を使うのは、余計な肉体労働を省くためでもある)


・ここで終わりだと自分で決める/280字

創作文の終了は自分で決める。
何文字書くと決めてやるわけではない。
おおまかな計画を立てる時もあるが、
それでも最後までわからない。
終わりどころは、議論が尽くされ、
ある種の結論が出たところだ。
そのまとまりを自分で定義することが創作文だ。

一方タイプウェルは泣いても笑っても280字キッチリ。
調子のいいラップだけで終了できないし、
ファイナルラップの魔物に捕まったりもする。


・頭の中に構成がある/頭を空にする

文章を書くとき、今書いている部分の、
もっと先のことを考えていることもある。
だから伏線が引けるのだ。
これを後で使おうと思うことをここで置くには、
全体の構成が頭に入っている必要がある。

つまり文章を書くとき、
今書いているところ、過去に書いたこととその影響、
未来に書くべきこと、
そして全体の構成など、多次元のことが同時進行して頭に浮かんでいる。

タイプウェルでは、それはない。


・マラソン/60秒以内の戦い

タイプウェルは高々60秒以内だ。
無呼吸の脱力が合理的身体の使い方だろう。

一方創作文は、15分、1時間、8時間程度の作業である。
寝返りも打つし、トイレにも立つし、
全然違うことをする休憩もある。
身体の使い方が変わって来る。
短時間あたりの速さには重きは置かれず、
スムーズで疲れないことに重きが置かれるだろう。


・論理展開に都合の良い指遣い/名詞に限った指遣い

スムーズな指遣いは、どういうことに必要か?
「文章によく出て来る言い回し」がそうあるべきだ。
それはn-gramのような統計だろうか?
名詞以外のそれならば、ある程度信用できるかも。
しかし実際のところは、
たとえば「である。」のあとには、
「だがしかし、」「とはいえ、」「断言したものの」
などが来やすいとか、
論理展開などに特有の言い回しがあるように思う。

特に日本語は膠着語で、
格文法がないため、
各言葉を接着する言葉が、格を決定する構造をしている
(ように思われる。詳しくは突き詰めていない)。

これらに都合のいい指遣いが出来ると、
効率が上がると考えられる。

一方タイプウェルはランダムなので、
単語の中での指遣いだけが求められる。
そしてそれらは名詞と動詞終止形に限られるので、
実戦とかけ離れた指遣いを練習している、
といってもよい。
(全く違うわけではないだろうが)

慣用句は唯一文章的だが、
日本語の普通の文章と近い指遣いが多いわけでもない。
名詞の羅列より実戦的という程度だろう。




思うところを述べてみた。

殆どはやる前から、あるいは触りながら考えて来たことだけど、
タイプウェルで、
意味を考えず、脱力して、
指先と全キーを等しく意識して、
先読みするようになってから、
タイムがSB(60秒)より上がり始めたので、
ああ、実戦とこの辺からかけ離れ始めるのだろうなあ、
と自覚的に思っていた次第。
(このタイムも人によって、環境によって違うかもだけど)


「タイプウェルは実戦じゃないからね」
なんていう時、こうしたことを僕は考えている。

とはいえ、タイプウェルの練習は、
タイピング基礎能力向上に効果があるため、
全く無駄とは言えない。
続けることの効果はとても大きい。
特にSJ〜SCくらいと苦手ワード練習が、
スムーズに打てることに効果があった。
数値測定出来ることも大きい。
秒4打〜4.5打までいけば相当良いと思う。


タイムが遅いくせに「あんなの役に立たないぜ!」
というのはただの酸っぱい葡萄なので、
一応SS、秒5打まで上げてから、
思うことを整理してみた。



創作文章コンテストに、そろそろ戻ろうと思う。
posted by おおおかとしひこ at 19:50| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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