リアリティの精度の問題。
昔から、異性を描くことは難しいと言われてきた。
男性は理想の彼女を物語に登場させがちで、
女性は理想の彼氏を物語に登場させがちだと。
それは有名なテスト、
「女同士の場面で、男の話題以外を喋る場面があるかどうか」
でチェックできる。
理想の彼女同士の喋りと、
現実の女の会話のリアリティの間を詰められているか、
というセルフチェックできる方法だ。
もっとも、
「理想の彼氏/彼女だけの世界が見たい」
という願望があり、
それがBLや百合の原動力になっていることは否めない。
つまり、現実は醜く、理想はどこにもない、
のような対比的事情が存在するわけだ。
それは、理想が現実と遠すぎることが原因かも知れない。
理想に理想を投影しすぎて、
彼氏/彼女が人間であることを忘れてないかということ。
アイドルはうんこをしない。
アイドルは理想の彼女だからだ。
「アイドルはトイレに行って何をしてるんですか?」
の質問に、
「マシュマロを出している」と答えたのはももちだっけ。
アイドルという職業をよく理解している。
(「出している」時点でアウトやんけ、と笑える、
メタ視点を理解しているわけだね)
理想の彼氏/彼女だろうが、
うんこをしている。これは事実である。
どんなに崇高な考え方をしていても、
たまに下衆いことは考えるし、
完璧に見えてもミスはするし、
うっかりや間抜けはある。
理想の彼氏/彼女は、神ではなく人間だから。
いや、神を眺めていたい、
というのなら、それもありかもしれない。
僕は、人間と人間がぶつかり合わなければ物語ではないと考えるので、
女だろうが男だろうが、
人間の醜い部分や足りない部分があるべきだと考える。
北条姫子はうんこする人間だと考えた上で、
キャラクター造形をしている。
小次郎も竜魔も、うんこしたり立ちションしてるのだ。
それをモロに描くかどうかはおいといて、
人間であるということはそういうことだと、
常に意識に入れておくということ。
その上で、
「その人は何をしようとしたか」が、
その人の尊さを決めると思うのだ。
汚泥のような現実的な世界で、
汚い部分もある人間が、
垣間見せた聖なる部分が、
その人の尊い部分であると考える。
ただキラキラしているだけの面しかないのなら、
それは嘘だ。
だってそんな人間は歴史上生まれていないからだ。
それはイコンであり、実在しないものである。
イコンや実在しないものに恋することもある。
それは恋や理想に恋してるだけで、
現実に恋をしたことがない人かもしれない。
(あるいは、現実に理想の恋を押し付けている)
「2次元の嫁」という侮蔑言葉には、
そのような意味が込められていると思う。
僕は、2次元の嫁商売は間違っていると思う。
神は偶像ではなく、人間の中にある、部分集合のことだと、
どの宗教も言っている。
ただ、偶像が商売になるのは昔から同じで、
図像商売は遥か太古から、公式待ち受け画面まで、
延々と続いているわけだ。
理想の彼氏/彼女を物語で描こうとするのは、
つまりは悪魔の所業なのだ。
人間という真実を忘れる、間違った考え方だ。
私たちは、人間の中の神性を描くべきであり、
神性単独を描くべきではない。
それは、リアリティのレベルの問題である。
アイドル(女、男とも)や二次元に夢中になったり、
現実の異性に神を求めがちな人は、
現実の人間の中に神性がある矛盾を信じていないのかもしれない。
それはもはや宗教レベルの話になるので、
目を覚ませといっても無駄だろう。
あなたはどちらのタイプの物語を書くのか?
僕は、北条姫子はうんこする前提で、
彼女は間違うという前提で、
彼女には人間の汚さがある前提で、
風魔を書いたつもりだ。
それでも理想を追い求めようとするから、
彼女は美しい。
小次郎は、そんな彼女に惚れたのだ。
この辺りの「受肉」こそが、
漫画の実写化において、もっとも考えるべきことだと思う。
漫画の実写化だけではない。
あなたの頭の中のストーリーの受肉においても、だ。
ただ、惚れるという行為が、神性の発見だったりして、
そこで目が眩むんだよね。
神性は部分であり、残りの肉とのバランスである、
と考えると、
理想の彼氏/彼女は、リアルさを取り戻すかもしれない。
2019年08月11日
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