2019年08月15日

戻れなくなることは、進むこと

ストーリーを進めることは本当に難しい。
プロットを綿密に立てたとしても、すぐに路頭に迷う。
進んでいるのか停滞してるのか後退してるのか、
それすらも分からなくなることがある。

こういう時は「後戻りできない瞬間」を作るといい、
というのはかつて書いたと思う。
これをもう少し巨視的な所から眺めよう。
その、後戻りできない瞬間のパターンは、
あなたはいくつ持っているか?という話。


まずミクロの所から。

後戻りできない瞬間を作ると、
ストーリーは前に進まざるを得ない。

5分前のシーンの状況に戻ろうと思えば戻れるとか、
今謝れば元どおりになるとか、
そういう気持ちをたたえたままだと、
ストーリーは停滞し、全身感覚を失う。
「いつでも戻れるわ」という感覚は、
ストーリー進行ではない。

人が死ぬのは、その強い例だ。
決して生き返ることはないから、
周囲の人はその気持ちを胸に、
前に進まなければならない。

なにかを知ってしまったり、言ってしまったり、
してしまったりしたあともそうだ。

秘密や真相を知る、
知られたくないことを知られた、
誰も知らないことを密かに伝えた、
好きだと伝えた、
結婚しようと言った、
好きなのに嫌いと言ってしまった、
誤解された、
ネットに書き込み炎上して魚拓を取られた、
つい殴ってしまった、
つい意地悪してしまった、
悪意を伝えた、
などなど、
いくらでも例が出てくるだろう。

それの前にはもう戻れないことが、
「次どうしよう」という力を発生させて、
何かを登場人物にさせる原動力になる。
原動力は危機(感)である。

締め切りの設定は外的要因だが確実だ。
締め切り設定前にはもう戻れない。
サイは投げられた。
じっとしてるだけで首が締まる。
○○までになんとかしなければならない。

こうした焦燥感のようなものが、
ストーリーの強力な前進力になることは、
幾多の例を見ればわかるだろう。


で、本題。
これを巨視的に見る。

ひとつの作品内で、
どんなカードを切っているか?
そのパターンを沢山持っているか?
という話。

後戻りできないポイントを、
ABCD…とした場合、
それらで同じネタ被ってねえよな?ってこと。

あるいは、
複数の作品で、使うパターン決まってねえよな?ってこと。

この人いつも○○のパターンで、
ストーリーを前に進めてるぞ、
とバレたら、飽きられるし予測されてしまう。

その中の典型的なもののひとつが、
「四天王の中で最弱」かもしれない。
一人は倒された(後戻りできない)が、
しかしこれ以上の試練が明らかになる、
というのはどこででも見るパターンだから、
そればかり使う作者は、またかよって言われるだけなのだ。

つまりそれって、
「毎回違うパターンを考えているか?」ってこと。
思考停止せず、手癖を使わず。


最近書いた話では、
「留守の隙に家を焼かれる」というパターンを、
初めて書いた。
こんな後戻り出来ないパターンもあるぞ、
と自分の中では発明だけど、
まあ、よくあるっちゃあある。
あらゆるパターンはどこかで見たことがあるかも知れないが、
しかしこの組み合わせでは使われてないとか、
そうしたことが、パターンを新しくすることである。

沢山偏らず作品を見ろ、
という僕のアドバイスは、
いろんな「後戻り出来ないパターン」を見ておけ、
ということでもある。

そうすれば、思いついたそれが、
よくあるパターンなのか、
新しいパターンなのか区別がつくだろう。



同じ「後戻り出来ないポイント」のネタを、
なるべく使わないようにすることだ。
それってつまり、
日々新しいパターンを吸収したり、
考え出さないといけない、
ということなのだ。

バラエティがあり、予測がつかないほど、
そのストーリーは吸引力を増す。
posted by おおおかとしひこ at 11:02| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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