普段だっていくつもの意味が重なることはあるけれど、
クライマックスは特に、
一挙一動に意味が重なり合うことが多い。
わかりやすく、スターウォーズ(Ep4)のクライマックスをあげよう。
主人公ルークの目的は、
排気口に爆弾を落とすことである。
この行動は、複数の意味が重なり合う。
第一義にはデススターの破壊、
第二義には共和国の勝利、
第三義には、帝国主義よりも共和主義が良いと証明すること。
「共和国の勝利がなぜ良いのか」には、
当時の時代背景がないとわからないかもしれない。
帝国は基本ナチスだ。
当時は冷戦体制だったが、
悪はナチス、ソ連共産主義、全体主義だったわけだ。
それを倒すことは自由を手に入れることだった。
ルークの爆弾投下には、
この三つの階層の意味が重なり合っている。
ところで、
これを遂行するには、
ダースベイダーの追撃をかわさなければならない。
宿敵を出し抜く必要があるわけだ。
爆弾投下の成功は、すなわちダースベイダーを、
「やっつけた」ことになる。
(実際に剣を交えるのはもっと先の話だが)
また、ルークが何故パイロットに選ばれたのかでいうと、
操縦技術が優れているからだ。
それはR2D2を自作したりするメカオタであることと関係する。
彼の孤独が報われるのかどうか、
と爆弾投下ミッションは関係する。
さらに、ルークの最も個人的な悩み、
「何者かになりたい」もこの成功で達成できる。
これまで孤独にやってきたことの、
答えがこれで出て、ルークは何者かになれるのだ。
(70年代のハリウッド映画には、
若者がこのようなアイデンティティを得る映画が多かった。
ロッキーもその系譜だ。
最近の邦画?イケメンでおしまいみたいになっとるね)
つまり、
行動としては、
「追撃を交わし、爆弾投下する」
という行為自体に、
公的な意味:
デススターの弱点破壊
共和国の勝利
共和制民主主義、反独裁自由主義の勝利
私的な意味:
ダースベイダーを出し抜く
機械を作ってきた才能の発揮の場
何者かになれる
の、大体6つの意味が重なっている。
これが当時最新の技術、
モーショントラックカメラによる、
多重露光合成によって、
これまでにない映像として完成したのだから、
興奮しないわけがない。
大きなこと(国家や主義)から小さなこと(人間関係や個人の内面)
まで、「全てはたったこの一発に託された」
となるから、面白いのだ。
失敗は許されない。撃墜されたら死。
バリヤーが外れた数分間の、ワンチャン。
マックスの危険まで釣り上げられ、
ミニマムの表現(いいタイミングでボタンを押す)まで縮小され、
マックスの意味が重なった表現。
これが映画だ。
指先一つのカットが、
ここまでの意味の重なりの成否を決めるから、
私たちはその瞬間を心待ちにして、
その行く末を見守るのである。
それらの意味が、きちんと伝わっているか?
それらの危険が、事前に伝わっているか?
成功と失敗が、一瞬で絵でわかるか?
だから、成功した瞬間、
ボルテージはマックスに上がる。
クライマックスは、
この全てが作品内で最大になる。
これが書けないやつは、シナリオの才能がない。
逆に、途中で挫折してここまでたどり着かなかった奴は、
シナリオ童貞を捨てていないわけだ。
何のためにここまで来たのか。
これが成功することで、
どんな意味が達成されるのか。
(どんな失敗の危険があり、
失敗したらどんな望まれぬことになるのか)
これを纏めることは、
「作品そのもの」である。
勝利の美酒か、敗北の死か。
クライマックスは、その物語の価値そのものだ。
元々はナブー王室の備品で、パドメが女王を引退して議員になった後も、戦友として引き続き使用していました。
そしてパドメが死亡し、レイアが義理の父親のオルデラン王に引き渡された時一緒に引き取られたのでレイア姫の所有物です。
R2はEP4の冒頭からレイアの船にいます。
アナキンがC-3POを作った話と混ざっていませんか。
また、ルークがメカオタクであることを明示的に示したパートもありません。あくまで農場仕事の一環でロボット類も扱っていた程度です。
もともと大学に行きたがっていたので戦闘機の操縦技術が優れているという描写もありません。戦闘機乗りになったのは、レイアを救助した有意の若者として、正義感や高揚感からレジスタンスに参加したんだろ……くらいの流れです。
一番大きな「何者かになれる」部分は残っているのでこの記事の主張には差し支えないですけどね。
「才能」はミサイルを当てる時に使ったフォースの素質で示されていたのではないでしょうか。「自分の中に眠っている力を試したい」という若者の欲求に当てはまるのかな。
そして、フォースの能力は師匠オビ=ワンから修行で受け継いだレガシーという面も持っています。
なので、私的な意味は「オビ=ワンからのメンタリング、師の死が無駄ではないこと」「自分の中の隠された才能」「ダースベイダーという敵に勝つ」「何者かになれる」ではないかと思います。
youtubeにEP4からカットされたシーンが挙がってますけど、あれを見ると本当にルークが等身大の若者として自己規定の悩みを持っていたのがわかります。
SFオタクが求めるような内容ではないですが、SWのドラマパートとしては非常に重要なパートです。ルーカスが削っちゃいましたが(「star wars a new hope deleted scenes」で出てきます。あくまで正規のPVを見たらyoutubeが勝手にリコメンドしてきただけで、自ら違法UPを探したわけではないので念の為付言しておきます)。
別記事の「デススターは卵子でXウイングは精子」は精神分析ですね。今は完全に英米哲学がドミナントでメイヤスーなんかが局地流行してる程度ですけど、ラカンで映像解釈とかメチャクチャ流行ってましたね。
なるほど、じゃあ少なくとも作中には、
ルークが何者かになれる根拠は描かれていないわけか。
暇な電子工作オタクだと勝手に思ってました。
おっしゃる通り後年のシリーズとごっちゃになってたかもです。
となると、
当時は「何も根拠がなくてもチャンスさえあれば英雄になれる」
と素直にみんな信じてた(願望も含み)ということですね。
そのような万能感が、SW全体が子供っぽい理由かもしれません。
(削除シーンがそのドラマ部分を補完していればよいのだが)
映像の精神分析は当時は流行して、
のちに精神分析から物語が生まれもしました。
トラウマ、多重人格、サイコパス、父殺し、主人公は実は狂っていた、
は今でも使われる小ネタですね。
アニメでメタファー読み取りゲームになるのもその末裔か。
精神分析は「なぜここで強い表現だと感じるか」
に「人には強いと感じる表現があり、それにはアーキタイプがある」
と理由を与えてくれます。
しかしアーキタイプだから強くなるわけではなく、
ストーリー自体が強いところに、
アーキタイプを持ってくると分かりやすい、
と考えた方が良いでしょう。
アーキタイプは傍点のような「強調記号」にすぎません。
で、ストーリーの強さってなんだ?
ということをこの記事では分解してみたわけです。