2019年08月24日

喧嘩は同レベルの間で発生する

などとよく言われる。
物語ではどうだろう。


もっとも大きな喧嘩は、メインコンフリクトとよばれる。
これが解消することが物語のセンタークエスチョンとなるわけで、
この喧嘩が終われば物語はおしまいだ。

で、これらは同レベルの間で起こっているだろうか。

実のところ、主人公より強大な敵がいることが多く、
それをどうやって打ち負かすのか、
ということが多くの物語のストーリー展開、
ということになるはずだ。

ということは、敵>主人公という図式ができてしまう。


喧嘩は同レベルの間で起こる。
ということは、
闘いに勝つには、成長しなければならない。
これが物語に成長が必要な根拠だ。

で、主人公一人で成長することは難しい。
現実でもそうだろう。

ということで、
だれか他の人と協力したり、
他の人とのあれこれで変化が起こることで、
「結果的に成長する」が起こる。
単純に、
戦力が増えることで対等のレベルになることもあるだろうが。

しかし、量的に対等になっても喧嘩とは言えない。
質的に対等になるべきだと思う。

なんなら、量は劣るが、質は凌駕している、
なんて勝利の仕方があるくらいだ。

で、質的な勝利でいうと、
相手より上等になればいい、というわけでもなく、
人は凸凹の存在だから、
ここは下回るかもしれないが、
ここは上回る、というところが必ずあるはずで、
それを生かして喧嘩していく、
ということを考えたほうがよい。
それがどういうものかはそのストーリーや喧嘩の質次第ということになるが。


大抵の場合は、
冒険を経験することでひとまわり大きくなり、
認識の仕方が変わることで、
成長が行われる。



人は凸凹がある。
人は影響を与え合い、成長することがある。
敵は大抵主人公より上回っている。

これらをどううまく組むかで、
喧嘩は同等のレベルで起こる、
ということを表現できていくに違いない。
posted by おおおかとしひこ at 08:50| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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