2019年08月26日

1シーンしか出てこない人

は、いるだろうか。

その人はどういう人物だろうか。


たまたますれ違う程度の役なら、
端役といって、
エキストラの人か、若手の役者を使う。
あるいは、メインキャストの事務所の若手。

重要な役ならば、
たいてい特別出演という枠組みになる。

たとえば西遊記では、お釈迦様は一度しか出ない。
(全編読んでないから、後半に出るかもだけど)

これは、特別出演枠で、
大抵凄いキャストが拘束時間も短いしオイシイからと、
出演することになっている。
(物凄い拘束時間なら大金が必要だけど、
大抵一日とか半日拘束なので、
リーズナブル価格。
一方、この役をやりたいから、正規価格より安く出演する場合を、
友情出演という)


あなたのストーリーに、このような登場人物はいるか?

いるとしたら、
大抵は老賢者の役になっていることだろう。

老賢者とは、
知識や経験は沢山あるが、
行動力は持っていないため、
知識や経験は不足しているが行動力はある若者
(大抵は主人公)に、
助言を与えることでストーリーを進める人物のことである。

ヨーロッパのおとぎ話では、
老いた魔法使いがその役割を典型的に演じる。
スターウォーズEp4では、オビワンケノービの役だ。
(フォースは魔法の代わり)

老賢者といっても、
老いている必要はない。
若者とか赤ちゃんとか、動物でも構わない。
ビジュアル上も設定上も老賢者である必要はなく、
老賢者という「役割」を果たせばそれは老賢者だ。

さて、
ここからが本題。

それは御都合主義になっていないだろうか?

主人公から見て、
便利な知識を都合よく授けてくれるキャラは、
都合が良すぎというものだろう。

つまり、特別出演の大物が、
都合よく導いてくれておしまい、
になっていないだろうか、ということ。

Google先生では、その人はない。
その人も人間だ。
聞かれたら答えたとか、
親切で教えた、
では端役である。Googleは端役だ。

その老賢者は人間である。
ということは、動機や目的がある。
主人公にその知識を授けるのは、
なぜ、どうしてか?
が必要だ。
(そして、その理由を自ら説明するのは一番下手だ。
そうしないでも分かるように組むのが普通)

よくある典型的なパターンは、
「この知識は有用だが、悪用されると危険である。
これを使うに相応しい者かどうかテストする。
私はこれを用いて魔王を倒す筈だったが、
病に倒れたため、これを継ぐ者を探していたのだ」
というやつかな。

これによって、
「お前がやったらええやんか」
「誰にでも教えるわけではない」
を回避できるので、
よく使われてきたパターンといえる。
そのテストをユニークにすることで、
その映画のイコンにもできるし。
(カンフー映画には、よくユニークな「修行」があったよね)


最近の物語には、老賢者の出番が減っているような気がしなくもない。
世代間の断絶が大きく、
老賢者と接する機会がない可能性はある。

あるいは、Google先生の発達も影響しているかもだ。
なんでもGoogleで調べちゃうから、
「Googleでは学べない知識」の存在が分からない。
だからGoogleでしか調べずに、
ほんとうの取材を経ていないから、
ということも考えられる。

デジタル以前に存在した知識は、とくにデジタル化されていないから、
アナログ的に取材する必要がある。
まさに知識の側が、
「ここまで来れるか」という試練を課しているようなものだ。

また、
典型的な老賢者の動機以上の設定や人間ドラマ
(なぜ教えようとするのか?)を
新しく思いつかないのも、
作者側の怠慢だともいえるよね。


あなたのストーリーに出てくる、
1シーンしか出てこない人は、
端役か?
老賢者か?
それとも別の役割か?
よく見極めていくことだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:59| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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