反芻の間にすること。
「結局これは、
子供のようなテロリストを、
障害者が目をひん剥いて黙らせただけだ」
などと、
僕は書き終えた原稿を客観的に見てみる。
そういうメモを作っている。
こういう、所詮この程度だと見積もることは良い。
具体的なことがここに入る。
ドラマ風魔で言えば、
「所詮、お調子者忍者が、気力のない敵を、
デカイ木刀で殴っただけだ」
などと最終回の具体をまとめることが出来る。
しかし、ここに意味が重なるからストーリーなのである。
ドラマ風魔でいえば、
因縁(片足を貫かれた、麗羅と兜丸の仇、
何のために戦うのか、黄金剣と壬生、
風魔と夜叉、絵里奈)の決着を意味するから、
ここが最高の場面になるのだ。
それらの意味を書き連ねよう。
その所詮○○が△△するだけのことで、
どのような意味が意味されるのだろう?
つまりこれは、最も最後に残るもの、
テーマに近づこうとしている。
テーマはたった一つでなくて良い。
複数あってもよい。
特に長いものはそうだろう。
メインはひとつから3つ程度あって、
サブがいくつかあっても良い。
いずれにせよ、
「○○が△△した」ことによって示される意味を書く。
それ以外のことを書いてはいけない。
風魔でいえば、因縁の決着をしたことで、
「自分勝手に振る舞うよりも、絆を大事にした者の勝利」
「風魔の小次郎の完成」
「新しい形の忍びになること」
などがしめされる。
(三つ目は決着の時点ではなく、ラストの竜魔のセリフから。
しかし全体が終わったとき、
これはデカイ木刀で殴った瞬間完成したのだと言える)
これらを箇条書きにすると、
ようやく浮かび上がる一行が、
その物語の全体を包括する結論になるだろう。
ドラマ風魔でいえば、
「人の心に暖かい風を吹かせる、それが風魔だ!」
になるだろうか。
この場合はセリフで落としたけれど、
毎回それでなくたってよい。
それらから暗示があり、
そうとしか読み取れないレベルにまで煮詰められていれば、
それがその物語の結論だ。
反芻が何度も行われているうちに、
全ての繋がりが繋がっていくと、
いずれ俯瞰から見始めるようになる。
その全体像を把握し、
「それが一体なんであったか」の総括に入ろうとする。
それは人間の本質的な理解の性質かも知れない。
「細かいところがほぼ繋がったら、全体像を把握したい」という性質。
死ぬ間際に走馬灯を見るのは、
こうした性質と関係しているかも知れない。
(ドラマ風魔のエンドロールは、そうした走馬灯かもね)
所詮○○が△△しただけのビジュアルに、
その総括が重ねられて、
人はそれをポインタとして記憶する。
おそらくそういう思考回路に人は出来ている。
所詮小次郎が武蔵をデカイ木刀で殴っただけの絵に、
「暖かい風を吹かせる」という意味が重なり、
ドラマ風魔は圧縮されて記憶される。
(いや、人によっては麗羅の死や、シンクロや、
柔道対決、羽兄弟、夕日の鉄塔によって記憶されるかも知れないが。
そこはお気に入りの場面のことであり、
全体の総括ではないだろう)
そのように自分のストーリーがなっているかを、
反芻の後半にはチェックすることになるだろう。
つまり、反芻は「総括の構造」を見ていることになる。
反芻することにより、
恐らくあなたの書いた話に、
明確な構造があることが、
自分で理解できたと思う。
で、「これが最高か?」と問うことになる。
あれがああだったほうが、
これがより強まるのではないか?
ここでこれがないほうが、あとあと良いのではないか?
ここをこうまとめたほうが効果的だ、
ここにもっと膨らましがあると効果的だ
などと考えることになるだろう。
それは、作者個人のわがままによる「こうしたい」ではなく、
「この総括に至るならば、
このような構造をしているべきだ」
という客観的な判断である。
「その方がよりこの結論に至るのに効果的だから」
という、より客観的な分析になるはずである。
ここが大事だ。
そこで見えた構造こそが、
あなたの物語の最良の構造で、
リライトはそうするべきなのだ。
主観的感想、たとえば、
ここをもうちょっと見たかったなあとか、
ここのセリフはよく書けているとか、
ここ退屈とか、
設定がよいとか、
俺は天才だとか、俺には才能がないとか、
そんなことはどうでもいい。
そんなのはリライトでいくらでも直せる。
反芻でやるべきことは、
総括とその構造と、
その結論に至るのに最も効果的な構造を、
俯瞰することである。
ドラマ風魔の場合は、
原作ありきだから、
原作の外せない部分と省略した部分を、
結論へ至るための最適構造として、
オリジナル部分を出すことによって、
作り上げている。
しかし原作ものだろうがオリジナルだろうが、
パーツが既にあるか作り出すかの違いしかなく、
パーツが出揃った、書き終えた状態では、
土俵は同じになる。
つまり、
パーツを組み替えればもっと良くなるとか、
このパーツはこうあるべき、
という全体の構造からの逆算で、
部分を見るのである。
所詮○○が△△しただけのビジュアルに、
どういう構造が乗っかる?
それがストーリーであり、
そこに至るまでの構造が最もよく出来たバージョンを、
あなたは最終形として世に出すべきである。
反芻しながら、
そのベストの形を妄想すること。
設定の一部変更もあるだろう。
ごっそり変える必要が出るかも知れない。
あれをああいう風に設定しておけば、
あれのあれに効果的だ、
などと考え始めるだろう。
その全体像をメモしておきなさい。
重ね重ね、手書きでね。
その生々しさが、
リライトするときに役に立つ。
三ヶ月後、あなたは三ヶ月前からの生々しい声を見て、
なるほどそう分析したのか、
と更に客観サイドから見つめることが出来るだろう。
所詮こんなもんだ、
しかしこのような結論が乗っかっている。
それが物語であり、
あなたは、そこに至るまでの最も効果的で、
かつ面白い一本道をつくる。
2019年09月02日
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