ものすごく初心者向けに書いてみる。
最後まで作ってから書けば、最後まで書ける。
同語反復だろうか。そうではない。
プロットを最後まで作ってから、
その通りに執筆をすれば、最後まで書ける。
ただそれだけのこと。
執筆は、荒い状態のプロットを、
現実に起こす行為だ。
(たとえば、プロットでは「AはBに怒り、決裂する」
と書かれていたとしたら、
実際のABのやり取りを書くことが執筆だ)
で、執筆での鉄則は、
「プロットを変えないこと」だ。
こうのほうがいいだろうか、ああしたほうがいいかも、
いや、全く別のナイスアイデアを思いついたぞ、
なんてやってはいけない。
ナイスアイデアの思いつきは、
プロット段階で出し尽くしなさい。
あるいは、思いついたナイスアイデアは、
その作品に使わずに、次の作品に使うこと。
アイデア出しはアイデア出し、
執筆は執筆のみ。
これを分けること。
アイデア出しの最中に、
セリフを書き始めたり細かい設定をしはじめるから、
アイデアが最後まできちんとまとまらないのだ。
執筆の途中に、
新しいアイデアを採用しようと思うから、
矛盾や無理が出てきて、うまく着地できなくなるのだ。
デッサンの最中に色を塗るか?
色を塗ってる時にポーズ変える?
そんなことしてたら終わらないよね。
家の基礎を掘ってるときに、内装を貼りはじめるか?
家具を並べてるときに、基礎を外してみるか?
そんなことしてたら終わらないよね。
物語も同じ。
工程を混ぜないことだ。
混ざったら終わらないから、
先人が終わらせるために、
工程を分けたのだと思うと良い。
「終わらない仕事はない」などとよくいうが、
仕事が終わるのは、
計画的に段取り、
それぞれの工程を管理するからである。
「この工程から戻れない」を決めてかかれば、
終わらない仕事はない。
(締め切りが来てしまったので、
グズグズでロールアウトという敗北もあるが、
終わるには終わる)
逆に言えば、「終わらない仕事はない」みたいに、
執筆もするべきなのだ。グズグズなのも含めてね。
執筆の途中に、プロットに疑問を持つべきではない。
これはメチャクチャ面白いのだ、
と昔の自分を信じて書ききれ。
今の自分が過去より成長していて、
過去の自分を超えるアイデアを思いついても、
過去の未熟な自分のまま、仕上げること。
成長は次の作品で見せてくれ。
今は成長を見せる時間ではなく、
過去に約束したプロットを、最後まで実装する時間だ。
一年前に構想したプロットには限界があるからといって、
プロットを練り直すから、
行ったり戻ったりして、最後まで書けないのだ。
その限界のあるまま、仕上げなさい。
一年前の構想を恨みなさい。
そして一年前の妄想を実現することだけを考えなさい。
そうすれば、
一年前の限界のまま、
一年前の妄想の爆発が出来上がるだろう。
これはこれである程度の価値がある。
一年遅れの完成ではあるが、
完成しなかったら0だから、
最高にいいものではないにせよ、
たしかに価値のあるものが完成する。
それ以上の価値を思いついたのならば、
今すぐプロットとして書き始めなさい。
プロットを書くことは、
執筆に比べて何倍、何十倍、何百倍も楽だよ。
だから、
一本執筆し終えるまでに、
何十本も荒いプロットが溜まることは、
稀によくあることだ。
「これ書き終えたら、次はこれを書きたい」などと考えながら、
アイデア出しは新作で、
執筆は現作品の執筆で、
と工程を分けつつ同時進行しても構わない。
現在のものが完成してから書きはじめること。
同時に書くのはだめだ。
二兎を追う者になって、両方破綻する。
なにせあなたは書き終えたことがないんだろ?
まず書き終える経験を、10本ぐらい積むことだ。
そうすれば、
プロット段階でどこまで考えておくべきか、
執筆段階でどこまで考えられてないと困るかを、
知ることができる。
プロットは、ただのあらすじ、アイデア出しではない。
執筆するときに、
自分が何も困らないようにする、全ての準備のことをいう。
執筆で困ったのだとしたら、
あなたはプロットをそもそもきちんと書き終えていなかったのだ。
プロットの形式は決まっていない。
あなたが執筆で困らない、
あらゆること全てがプロットである。
何せプロットは、「計画」だからね。
東京オリンピックは計画どおりに全く進んでいない。
計画では、福島復興を兼ねた、
福島東京同時開催のオリンピックだった。
そして史上最小にコンパクトで金のかからないオリンピックだった。
執筆は、このプロットどおりにやればよかった。
しかし何故だか金は膨らみ、当初より2桁上がり、
酷暑対策は何もなく、ボランティアに丸振りで、
現地調査したIOCに
「二週間前から現地入りし、サウナでトレーニングせよ」
などと皮肉られる様だ。
この執筆は何が間違っていた?
プロットがザルだったことだ。
執筆の時に困らないように、
あらゆる細かいレベルまで、
計画をしておくべきだったのだ。
東京オリンピック2020は、締め切りがきてグダグダなものを提出するだろう。
あるいは、急ピッチで完成させて、
誰かの人命が失われる(鬱なども含む)だろう。
どちらにせよ執筆の失敗だ。
そしてその最大の原因は、
計画がザルだったということだ。
最後まで書ける方法は一つしかない。
計画を立てることだけだ。
計画さえ立てて、その通りに実行すれば、
実行する限り仕事は終わる。
計画の中に、「さぼるだろうがこのような理由で復活する」
なども計画しておけばいいだけのこと。
何日か前の、
何ヶ月か前の、
何年か前の、
あなたの計画を実行せよ。
新しく計画を横入れして、前の自分を裏切ってはならない。
そうすれば完成する。
問題は、
「完成させたことない奴が、
完成させるまでの計画を立てなければならない」
ことにある。
そういう人は、
「完成作品を少しずつ伸ばしていく」
ことをお勧めする。
まずは1ページの完成作品を作ろう。
明日は2ページの、明後日は3ページの…
と作ろう。
数ページくらいならアドリブで書けるかもしれない。
どの長さまでなら、事前準備なしに書けるかを把握しよう。
そしてそれ以上にページを増やした時、
どこかで、別紙に大体を書かないと書ききれない長さになる。
その時はじめて、
「事前に何をどう準備すれば最後まで自分が書けるか?」
を意識することになるだろう。
10ページ作品、20ページ作品…
と伸ばしていくと、
そのうち脚本一本や、小説一冊まで分量が到達する。
準備することは、
ページ数の2乗で増えていくと思う。
これは、やってみれば分かるさ。
そもそも1ページのストーリーも書けないやつは、
このゲームの参加資格がないのかもしれない。
もし書けたら、執筆レースの参加資格がある。
何ページ部門のエントリーかは知らない。
執筆と計画の関係を知ろう。
計画で最後まで書き、
執筆で最後まで書けば、
最後まで書けるだけのことだ。
2019年09月03日
この記事へのコメント
コメントを書く