ならない、と100%言い切るわけではないが、
殆どの「面白そうな設定」は、
面白い物語と相関がないと考える。
例をひとつ。
「机の下には、亜空間が広がっている」
という仮説がある。
自作キーボードの部品組立てを、
何個無くしたか覚えていない。
バネはビヨーンと飛んでくし、
小さなネジは転がってどこかへいく。
落としたところには発見されず、
必ずだいぶ離れたところで発見される。
冷静に考えれば、円筒形だから凄い勢いで転がるのだろうけど、
それにしても見つからなかったやつはどこへいくのだろう?
これを称して、
「机の下には亜空間が広がっている」
などと言うことがある。
ネジやバネでなくて、
消しゴムやらシャーペンの芯でも同じこと。
その亜空間に吸い込まれて、それらは二度と戻ってこないのだ。
これはフィクショナルな設定だ。
だから、
「この設定を使って、何か面白そうな物語が出来ないか」
と考えるのは、
発想としてはアリだ。
だけど、うまくいかない。
試しに何かつくってみたまえ。
たぶん、
「最初に思ったほど面白くならない」
という現象になる。
「かりぐらしのアリエッティ」的なワクワク感は、
実際にプロットにならないことがわかる。
なんでだろう。
ストーリーのプロットに必要なものが、
その設定には欠けているからだ。
プロットに必要なものは何か。
問題である。
目的である。
行動である。
障害である。
経過である。
いくつかのターニングポイントや、状況変化である。
結果である。
そして、それら全体が示す意味である。
これらの何の要素も、
「机の下には、亜空間が広がっている」
から想像されることに入っていないのだ。
この、
「もし机の下に亜空間が広がっているとしたら、
ワクワクしないか?」
の要素に、事件も目的も行動も結果も意味も、
含まれていないから、
ストーリーにはならないのである。
ということは、
これらのなにかを足していけばストーリーになるかもしれない。
たとえば、
亜空間に落ちたものを集めている種族がいて、
ある日この亜空間がなくなるかもしれないと気づく(事件)。
たくさん蓄えたものを全部持っていく引越しをすることにした(目的)。
しかしそれを邪魔するやつら、
たとえばゴキブリがいて(障害)…
あんまり面白くなさそうだね。
僕の発想が詰まらないのかもしれない。
つまり、面白いストーリーには、
「机の下の亜空間」に匹敵するくらい、
面白いアイデア
(目的や行動や障害や結果や意味など)
が必要ということだ。
つまり10必要だとすると、
「机の下の亜空間」は、そのうち1程度のアイデアということなのだ。
世の中のアイデア本は、
「0から1を生むことが難しい。
1から2、3…を生むことは簡単だ」
などというが、
それは2や3が、1の延長の時だけである。
目的や行動や結果など、
ストーリーに必要なアイデアは、
「机の下の亜空間」の延長からは出てこない。
まったく別次元から持ってこないといけない。
「机の下の亜空間」は、
0から1を生み出してはいる。
しかし、
同レベルの「0から1」をあと複数思いつかない限り、
これはストーリーにならないのだ。
つまり、
世の中には二種類のアイデアがある。
ストーリーになりにくいアイデアと、
ストーリーの一部になるアイデアだ。
「机の下の亜空間」は、前者なのだ。
後者のアイデアを思いつかない限り、
ストーリーとして面白いアイデアとはいえないのだ。
世の中の多くの設定だおれは、
前者のアイデアばかりだからそうなるのだろう。
「異世界へ通じるドア」は、
設定としてとても魅力的なもののひとつだ。
しかし、ドアを抜けた向こうに、
ストーリーとして面白いことがないと、
ストーリーにはならない。
つまり、その先の設定がストーリー的になっていないと、
「ドアを抜けるところ」が面白さのピークになってしまう。
すなわちそれは、出落ちになるということ。
道具がでてくる出落ちだから、長くできない、あるいは長くしないんですね。
無限連載物と一発物のストーリーは区別して考えた方が良いと思います。
このブログでは主に映画の、一発物を考えます。
無限連載物ではレギュラーを使って狂言回しをすることが重要で、
狂言回しはドラえもんの場合秘密道具ですね。
また、秘密道具は出落ちではないです。
出て終わりではなく、それを使って物語が進むので、
一種のマクガフィンと考えられます。
代表的なのは「和尚さんの大事にしている壺を割ってしまった」
ときの壺ですね。
周囲に反応や行動を促すなにがしかです。