上手くなるコツが唯一あるとすれば、
たくさん見てたくさん書くことしかないと、
僕は考えている。
それを昔から4文字熟語で博覧強記という。
たくさん書くことは、あらゆることの基本だ。
1万時間出来る人はほとんどいない。
絵描きのコツでも続けることだとよく言われる。
絵描きは暇があれば手が動く。
僕は中高のころ、
机にずっと落書きをする子供だった。
鉛筆漫画もたくさん描いた。
裏表1話で、300話ぐらいいったっけ。
本格的ストーリーだったかは微妙だけど、
その時の経験は僕の中に生きている。
プロになってからは、
特に一人前になる前に、ものすごく書いた。
段ボール2箱くらいかな。
これは裏表じゃないから、量がすごかったな。
今でも大事にとってある。
それが僕の自信の源だ。
これだけ書いたという質量が僕の背中にいるのだ。
やりちんはいつも口説いていつもセックスしている。
僕らは、創作においてそうありたい。
しょうもない話の端々でも、
クリエイティブな会話をしたいものだ。
(こないだは、新橋駅のジュース自販機を交換する業務車が、
いつも段ボールを畳まずハイエースの周りに放置しているので、
これを畳む後輩と、畳まずに放る先輩の、
どうでもいいショートコントなどを作って遊んでいた。
落ちまで行かなかったが。
先日の「Oh, my Science」もそんなものの一部)
常にフィクショナルなストーリーを考えてはアウトプットする。
それは癖のようなものでよい。
そうじゃないと、
流れるようにストーリーなんか出てこない。
「んー、ちょっとまって、あ、これはどう?」
と、2秒くらいで考えられるようにあるべき。
僕は大体いつも2秒で考えるようにしていて、
まずぽんと出してから、
別解を考える。
それは頭の回転の速さもあるが、
「考え慣れている」「出し慣れている」
の要素が圧倒的に多い。
出し慣れてなかったら、
こんなに大量の記事を毎日書けないわな。
薙刀式の記事を脚本論で追っかけてる人はそんなにいないかもだが、
昨日は3万カナほど書いた。
薙刀式はアウトプットを少しでもましにするための、
道具作りをしているわけだ。
で、インプットのほう。
沢山映画をみなさい。
沢山漫画や小説を読みなさい。
沢山演劇を見て、音楽を聞きなさい。
今流行ってるやつは全部。
過去の歴史的なものも全部。
気に入った作者のものは過去作全部。
このへんは基本。
ていうかオタクなら誰でもそうする。
大好きなもののモノマネをはじめるのは創作の原点の一つで、
それには膨大に摂取していることが必要条件だろう。
あと重要なのは、人生を経験することだ。
恋をしろ。恋に破れろ。
受験をしろ。部活をしろ。
就職せよ。社畜を経験しろ。
趣味をつくれ。知らない人に会え。
「ふつうのひとがふつうにやること」を、
たくさんやり、
「じぶんしか経験してないこと」を、
たくさんやることだ。
作家が取材が大好きなのはそういうことだ。
直接的なネタを探しているのもあるけど、
「あとあと使えるかどうかは分からないが、
これは面白い経験になる」と思えば積極的にやる。
面白い成功経験だけとは限らない。
とんだ失敗談や反省話も、貴重な経験だ。
なにせリアルで、一次情報だからね。
ネタを豊富に持つだけで、人生はおもしろくなる。
インプットをたくさんして、
アウトプットをたくさんすると、
いわゆるPDCAサイクルが回るわけだ。
意識高い系の発言でよく使われる(た?)言葉だけど、
かれらは何回回したんだろう。
10回?2、3回じゃない?
僕の感覚だと、100万回くらいかな。
いや、数えていない。
お前は食べたパンの数を覚えているのか?の世界だろう。
作家とは、
ぐるぐる回るインプットとアウトプットの、
「渦」の状態を言うのかも知れない。
作家になるとは、
三年生になるようなこととは違うと思う。
渦の状態を作ることであり、
渦が消えたらおしまいだと思う。
(まあ消えたらまた作ればいいんだけど。
火起こしみたいなものさ)
渦はたくさんのものを巻き込む。
ぐるぐる回ったら遠心力が生まれて、
色んなものを吐き出す。
作家とはそういういっとき現れる現象のような状態だ。
それを昔の人は、博覧強記という熟語でまとめたわけだ。
日本語ってすごいね。
2019年09月10日
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