「俺、毎回こんなのをこう処理してんなあ」
に気づくこと。
これは作風とも言える。
同時に欠点とも言える。
大抵良いものは、個性とか作風とか独特の感覚とか言われて、
良くないものは、欠点とか、またこれかとか、何回やっても、
なんて言われる。
ただでさえ、
創作とは二度と同じことをしないことを尊ぶ。
毎回似たような処理をしているな、
ということに気づいたなら、
改めるかあえて同じにするか選択するべきである。
(そして毎回同じ選択してるな、
などと、さらにメタレベルでも意識することだ)
前も似たようなことをやって失敗していたら、
今度は挽回のチャンスだ。
前も似たようなことをやって成功していたら、
今度も拍手で受け入れられるから、ショートカット出来ている。
待ってました!が待っている。
(あるいは、同じじゃね?の可能性も孕む)
こんなことを考えられるのは、
複数本書くことでしか体験できない。
短編でいいから数をやれ、
というのは、
このような、「似たような処理」の場面に遭う回数が、
組合せ爆発的に多いからだ。
とくに冒頭部、結末部、ターニングポイント付近、
重要な部分への持って行き方、
どんでん返しの仕方、
伏線の張り方、
あることをやりたいときの呼び水、
あるパターンのリアクション、
などに、似たような処理が見られることが分かってくる。
こいつはよくないな、
などと学習が進みやすい。
同じ轍を踏むのは進歩してない。
これは変えるチャンスだと思う人だけが、
次の進歩へ、小さな一歩を踏み出せる。
2本より3本、
3本より10本、
10本より1000本。
組手やセックスと同じ。
自分の処理の仕方を、増やしていくのだ。
初見はびっくりされても、読まれてしまうぜ。
2019年09月11日
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