プロットを組むとき、実際の執筆のとき、
ついやってしまうこと。
「いやいやそんなことに気づかずに、
そんなことする?」ってやつ。
執筆時はとくに猪突猛進だし、
考えている時も必死だから、
その時はなかなか気づかないが、
あとあと振り返ってみると、
わりとアホな行動をしている時がある。
バレないような犯罪をしようとしているとき、
指紋がついたり監視カメラに写りそうな行動をしているとか。
相手がどう罠を仕掛けているか、
予想せずに行動しているとか。
もちろんカッとなり、
感情のままに行動する時もあるけれど、
そんなうっかりミスは普通しない。
主人公は馬鹿ではないし、
敵も馬鹿ではない。
互いに相手の意図を読み合い、
ボロを出さないように、
しかし自分だけは出し抜けるように行動するはず。
IQ200とかの将棋ではない。
普通の人が考える普通の行動規範で、
考えると良い。
それが、執筆中の熱が入っている時は、
冷静でなくなり、
後で見るとおかしなことになっていることは、
まれによくあるのだ。
冷静になって見てみると、
「○○に気づかないのはおかしい」
「○○をするくらいなら△△のほうが合理的では?」
「それには引っかからんやろ」
なんてポイントがいくつもある。
勿論、主人公や敵が馬鹿だという設定なら放置でいいけど、
馬鹿対馬鹿の話は、誰もが見たい話ではない。
普通これに気づくだろう、とか、
普通これを考えて配慮するだろうとか、
普通これを想像して避けるだろうとか、
「普通これくらいのことは考えるだろう」は大事だ。
なぜなら、それを外したら、
信用を落とすからである。
信用というのは、感情移入の土台のようなものだ。
普通それは考えるだろ、
に反すると、この人はあまり信用できない、
信頼できない、と思って、
心理的距離が開いてしまう。
たとえば、「中華サイトの怪しい日本語」を例にしよう。
AliExpressには死ぬほど転がっている。
適当な商品を検索して説明を見たまえ。(とりあえずキーボードでいい)
Amazonの怪しい日本語のレビューでもいい。
この時点で信用できないわけだ。
ここからモノを買っていいのか、
この感想を信用していいのか、
かなりぐらつく。
何も高品質の日本語(ホテルマンのような)である必要はない。
ふつうの日本語であればいいだけなのに。
こう思うことと、
破綻したシナリオへの感想は、
大体おなじだ。
普通に考えればいいだけなんだけど、
その普通が実は難しい。
周りが見えなくなりすぎてるとそうなりがち。
リライトの時は、そのあたりを冷静に見るといい。
逆に、冷静に見れるまでは、リライトに手をつけないべきだ。
デスノートのような高度な知能戦まで行かなくてもいい。
普通のIQで戦えばいいではないか。
普通のIQの戦いを描いた上で、
一つ二つ賢いやり方が思いつけば、
それだけでデスノートに近づくよ。
2019年09月18日
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