2019年09月18日

主人公は馬鹿ではないし、敵も馬鹿ではない

プロットを組むとき、実際の執筆のとき、
ついやってしまうこと。

「いやいやそんなことに気づかずに、
そんなことする?」ってやつ。


執筆時はとくに猪突猛進だし、
考えている時も必死だから、
その時はなかなか気づかないが、
あとあと振り返ってみると、
わりとアホな行動をしている時がある。

バレないような犯罪をしようとしているとき、
指紋がついたり監視カメラに写りそうな行動をしているとか。

相手がどう罠を仕掛けているか、
予想せずに行動しているとか。

もちろんカッとなり、
感情のままに行動する時もあるけれど、
そんなうっかりミスは普通しない。

主人公は馬鹿ではないし、
敵も馬鹿ではない。
互いに相手の意図を読み合い、
ボロを出さないように、
しかし自分だけは出し抜けるように行動するはず。

IQ200とかの将棋ではない。
普通の人が考える普通の行動規範で、
考えると良い。

それが、執筆中の熱が入っている時は、
冷静でなくなり、
後で見るとおかしなことになっていることは、
まれによくあるのだ。


冷静になって見てみると、
「○○に気づかないのはおかしい」
「○○をするくらいなら△△のほうが合理的では?」
「それには引っかからんやろ」
なんてポイントがいくつもある。

勿論、主人公や敵が馬鹿だという設定なら放置でいいけど、
馬鹿対馬鹿の話は、誰もが見たい話ではない。

普通これに気づくだろう、とか、
普通これを考えて配慮するだろうとか、
普通これを想像して避けるだろうとか、
「普通これくらいのことは考えるだろう」は大事だ。

なぜなら、それを外したら、
信用を落とすからである。

信用というのは、感情移入の土台のようなものだ。

普通それは考えるだろ、
に反すると、この人はあまり信用できない、
信頼できない、と思って、
心理的距離が開いてしまう。


たとえば、「中華サイトの怪しい日本語」を例にしよう。
AliExpressには死ぬほど転がっている。
適当な商品を検索して説明を見たまえ。(とりあえずキーボードでいい)
Amazonの怪しい日本語のレビューでもいい。
この時点で信用できないわけだ。
ここからモノを買っていいのか、
この感想を信用していいのか、
かなりぐらつく。

何も高品質の日本語(ホテルマンのような)である必要はない。
ふつうの日本語であればいいだけなのに。

こう思うことと、
破綻したシナリオへの感想は、
大体おなじだ。


普通に考えればいいだけなんだけど、
その普通が実は難しい。
周りが見えなくなりすぎてるとそうなりがち。

リライトの時は、そのあたりを冷静に見るといい。
逆に、冷静に見れるまでは、リライトに手をつけないべきだ。


デスノートのような高度な知能戦まで行かなくてもいい。
普通のIQで戦えばいいではないか。
普通のIQの戦いを描いた上で、
一つ二つ賢いやり方が思いつけば、
それだけでデスノートに近づくよ。
posted by おおおかとしひこ at 10:42| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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