2019年09月20日

物語は、ストーリーの面白さを競うものだろうか?

最近、ここの軸足がとても崩れている気がする。


ネットで出回る動画や写真やネタたちは、
点の面白さであり、線の面白さではない。

面白さすらいらない可能性もある。
好きな人が出てるとか、
好きなジャンルの話だからとか、
「ただ好きだから」という理由で見たりする。

可愛い子やイケメンは見てるだけで眼福だから、
面白さなど必要ないかもしれない。
死ぬほど溢れる猫動画も、
別に面白いわけではない。
ただ可愛いというだけでポイントを稼ぐ。

人気者が出てるから見る、
流行っているから見るだけで、
「ほんとうに面白いから見る」を、
我々プロフェッショナルは提供できないでいる。

もちろん我々の実力低下もあるが、
「面白くなくても見る」人が一定数いるため、
「面白いか面白くないか分からないものに大量に金をかけるより、
確実に見る人が多いコンテンツを安く作ろう」
という制作サイドの判断が大きいと思う。

昔は「あれが面白い」「これが面白い」などと、
掴み合いの議論をして教養の深さが試されたが、
今はそんな喧嘩は見ない。
教養が深いことより、
人気者を捕まえて安くあげられる人が、
プロフェッショナルとして人気だったりする。

そしてそれがそういうものだと観客も見て、
ますますストーリーの面白さは失われて行く。


僕は面白いストーリーこそが物語だと考えていて、
おそらくはほんとうに面白いストーリーならば、
「これが面白いストーリーってことか!」と、
観客は夢中になると思う。
しかし、面白いストーリーは届けられず、
猫動画ばかりが量産されている。

「面白そうかどうか」をサムネや頭5秒で判断していては、
ストーリーの面白さよりも、
猫のアップの方がよさげに見える。

ストーリーは最後まで見ないといけなくて、
そしてほとんどのストーリーは面白くない。
大変なハイリスクハイリターンだ。


物語が興行、つまりビジネスで運営される以上、
そして現代の日本がリスクを避けまくる戦略である以上、
ストーリーの面白さが、
第一義的に重要であることは、
もはやない。

見る前から面白そうだと思わなければ見られず、
そしてそれで予測できる範囲などほんとうには面白くない。

ギャンブルで勝つことより、
負けないことを優先すればそうなるだろう。



さて。

最近「ストーリーの面白さがいるのだろうか?」
と、やや諦め気味に思うことがある。

評論家がストーリーを評論してくれるだろう、
などという甘い考えはもはや通用せず、
町田程度に評論される程度しか、
(一般に通ずる)評論など機能していない。

つまり、プロフェッショナルたちは、
ストーリーの面白さなど、忘れてしまったかのようだ。


映画は、ドラマは、ネットフリックスは、
何を競っているのだろう?
ストーリーの面白さだと信じたいが。

少なくともCMは、もうストーリーの面白さなど競っていなくて、
早く辞めたいよなあ。
posted by おおおかとしひこ at 13:46| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。