最近、ここの軸足がとても崩れている気がする。
ネットで出回る動画や写真やネタたちは、
点の面白さであり、線の面白さではない。
面白さすらいらない可能性もある。
好きな人が出てるとか、
好きなジャンルの話だからとか、
「ただ好きだから」という理由で見たりする。
可愛い子やイケメンは見てるだけで眼福だから、
面白さなど必要ないかもしれない。
死ぬほど溢れる猫動画も、
別に面白いわけではない。
ただ可愛いというだけでポイントを稼ぐ。
人気者が出てるから見る、
流行っているから見るだけで、
「ほんとうに面白いから見る」を、
我々プロフェッショナルは提供できないでいる。
もちろん我々の実力低下もあるが、
「面白くなくても見る」人が一定数いるため、
「面白いか面白くないか分からないものに大量に金をかけるより、
確実に見る人が多いコンテンツを安く作ろう」
という制作サイドの判断が大きいと思う。
昔は「あれが面白い」「これが面白い」などと、
掴み合いの議論をして教養の深さが試されたが、
今はそんな喧嘩は見ない。
教養が深いことより、
人気者を捕まえて安くあげられる人が、
プロフェッショナルとして人気だったりする。
そしてそれがそういうものだと観客も見て、
ますますストーリーの面白さは失われて行く。
僕は面白いストーリーこそが物語だと考えていて、
おそらくはほんとうに面白いストーリーならば、
「これが面白いストーリーってことか!」と、
観客は夢中になると思う。
しかし、面白いストーリーは届けられず、
猫動画ばかりが量産されている。
「面白そうかどうか」をサムネや頭5秒で判断していては、
ストーリーの面白さよりも、
猫のアップの方がよさげに見える。
ストーリーは最後まで見ないといけなくて、
そしてほとんどのストーリーは面白くない。
大変なハイリスクハイリターンだ。
物語が興行、つまりビジネスで運営される以上、
そして現代の日本がリスクを避けまくる戦略である以上、
ストーリーの面白さが、
第一義的に重要であることは、
もはやない。
見る前から面白そうだと思わなければ見られず、
そしてそれで予測できる範囲などほんとうには面白くない。
ギャンブルで勝つことより、
負けないことを優先すればそうなるだろう。
さて。
最近「ストーリーの面白さがいるのだろうか?」
と、やや諦め気味に思うことがある。
評論家がストーリーを評論してくれるだろう、
などという甘い考えはもはや通用せず、
町田程度に評論される程度しか、
(一般に通ずる)評論など機能していない。
つまり、プロフェッショナルたちは、
ストーリーの面白さなど、忘れてしまったかのようだ。
映画は、ドラマは、ネットフリックスは、
何を競っているのだろう?
ストーリーの面白さだと信じたいが。
少なくともCMは、もうストーリーの面白さなど競っていなくて、
早く辞めたいよなあ。
2019年09月20日
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