2019年09月21日

残酷な少女は、わがままな女になる

その後、身勝手なおばはんになる。


「残酷な少女」なんてのは文学によくあるモチーフで、
それって「子供は子供らしい」なんていう偏見に対する、
アンチテーゼの形で提出されるから意味があるわけだ。

「結局人の性質というのは身勝手なもので、
どの年齢においても等しく発現しているだけ」
などと考えると、
残酷な少女にムカついてくる。
お前が反省せえへんから身勝手なおばはんになるんや。

人間は教育するべき。
そう考えた人たちは、
人間は身勝手な獣であると考えた。
それを規律によって縛り、
知性と秩序で「獣ではない人間の知性の国」
を作ろうとした。

最初は神によって。
神の国や神の愛などが理想とされた。
次はなんだろう。


残酷な少年は、あんまり文学のテーマにならない。
でも少女漫画には出てくるかもしれない。
残酷な異性に、人は興味があるのかもしれない。
それって、自分の身勝手を投影しているだけかもな。


こんな風にして、
キャラクターへの投影を考察することができる。
現実の人間と、観客の心理と、
架空の投影先と。

それを考えてキャラクター群を設計してるかどうかだな。
posted by おおおかとしひこ at 10:25| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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