その後、身勝手なおばはんになる。
「残酷な少女」なんてのは文学によくあるモチーフで、
それって「子供は子供らしい」なんていう偏見に対する、
アンチテーゼの形で提出されるから意味があるわけだ。
「結局人の性質というのは身勝手なもので、
どの年齢においても等しく発現しているだけ」
などと考えると、
残酷な少女にムカついてくる。
お前が反省せえへんから身勝手なおばはんになるんや。
人間は教育するべき。
そう考えた人たちは、
人間は身勝手な獣であると考えた。
それを規律によって縛り、
知性と秩序で「獣ではない人間の知性の国」
を作ろうとした。
最初は神によって。
神の国や神の愛などが理想とされた。
次はなんだろう。
残酷な少年は、あんまり文学のテーマにならない。
でも少女漫画には出てくるかもしれない。
残酷な異性に、人は興味があるのかもしれない。
それって、自分の身勝手を投影しているだけかもな。
こんな風にして、
キャラクターへの投影を考察することができる。
現実の人間と、観客の心理と、
架空の投影先と。
それを考えてキャラクター群を設計してるかどうかだな。
2019年09月21日
この記事へのコメント
コメントを書く