ネットで「民主主義には不可能」と言われていて膝を打つ。
これを現在の日本のシステムで「通す」ことは不可能だ。
反対派を潰すだけで殆どの労力を使ってしまい、
現場で完成させる労力に時間も金も使えなくなる。
つまり、凄いとか尖ってるとかは、民主主義ではないのだ。
民主主義は政治をやるには現在最高のシステムかも知れないが、
芸術をやるには最低のシステムだ。
芸術は、全員を幸せにすることは出来ない。
ある一部の人を、
全員を幸せにする方法では出来ないやり方で、
それ以上に幸せにする。
ある一部の人を普通に(全員を幸せにする方法と同等に)
幸せにするだけでは存在意義がない。
その人たちにとっては、
普通以上に、ものすごく幸せにしなければ芸術の意味がない。
極論すれば、
たった一人を百万年先に連れて行っていい。
百万人を5年先に連れて行ってもいい。
1億人を現状維持に留めるのは芸術ではない。
いま、日本の芸術は民主主義に犯されている。
決定機構が複雑になり、
「○○の意見を反映させる」が義務になり、
○○の数は増えていく。
中抜き業者がたくさん増え、
持ち寄りの予算のためそれぞれの意見統一をするには、
最小公倍数しか取れない。
これらすべてが、
面白い、尖った、凄い、先を行く映画やドラマが出現しない理由だ。
(ネットフリックスはそれを超える可能性を持つ。
その仕組みで作っていないからである)
北京空港の例は興味深い。
こうした大規模なゲームを成功させる人が、
日本に出てきてほしい。
それはプロデューサーの仕事で、
監督という作家の仕事ではないのが、
映画の難しいところだけどね。
リクープ?
100年かかってやればいいじゃない。
ガンダムは当時は赤字だけど、
40年かけてリクープしまくってるぞ。
2019年09月22日
この記事へのコメント
コメントを書く