と考えると、中盤が組み立てやすい。
主人公は日常世界から離れて、
非日常の世界に突入する。
そうして旅を続け、ついには日常に帰還する。
そのような旅全体が物語だ。
で、
初心者がやりがちなミスは、
主人公の過去や現在をつくり、未来へのベクトルがあったとしても、
旅の途中で出会う人にもそれを作っていないことだ。
つまり、旅の途中で出会う人たちが、
突然そこで初めて出現したかのように作ってしまう。
その人たちにはその人たちなりの過去があり、
これまでやってきたことがあり、
これからやろうとしていることがあり、
そこに突然主人公がぽっと出で入ってきた、
という状況であることに、
想像をめぐらそう。
ある村やチームに主人公が加わるなら、
彼らなりのやり方やフォーメーションがあり、
それにのっとらないとうまく機能しないはずである。
そこを主人公が勝手になにかやれば、
揉めるに決まっている。(コンフリクト)
ある世界に主人公が闖入したら。
主人公側から考えることと、
闖入された側がどう主人公を扱っていいか戸惑っていることの、
双方からその現象を考察することだ。
これまで彼らが工夫してやってきたことがあって、
それが機能していない状況を、
主人公の出現によって打破出来るとしたら、
その過去を創作してあるかどうか、
ということである。
それが、「どう大人が知恵を絞ってもうまく行かない状態」
であるかどうかが、
リアリティと関係する。
子供が考えたレベルのことを主人公が突破してしまうような、
現代の人が異世界に飛ばされて現代の知識で無双してしまうようなものは、
リアリティとしては面白くないことが想像されるだろう。
非日常の世界は、それらのルールでこれまでずっと動いてきた。
だから一々新しいことを言わない。
仮に設定してあっても、
また一から説明することはしないことだ。
なぜなら、一幕をもう一回することになるからだ。
一幕は主人公の設定で、
二幕は主人公の冒険だ。
しかし二幕は、非日常世界の人たちにとっても冒険だ。
一幕を繰り返さずに、
途中からうまく合流できるような、
うまい設定の方法が必要だということがわかる。
つまり、設定のうまさ、
説明のうまさ(説明をせずに説明をすること)などが、
二幕には必要だということがわかる。
主人公に出会う、
5分前、30分前、数時間前、数日前、一週間前、
数ヶ月前、数年前。
彼らはなにをこれまでしてきていて、
何をしようとしているところだったか?
そしてそれは設定しただけじゃただの設定だおれで、
それが本編と絡まない限り、
ただの出落ちになるわけだ。
主人公だけを考えればある種なんとかなった一幕と違い、
二幕以降は「複数の視点からこの物語をみる」
ことが必要である。
複数の視点というのは、
複数の人物だけでなく、
複数の時間軸からも、
も含む。
2019年09月26日
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