2019年09月29日

途中面白く無くなってきたら

面白いと思ったはずのストーリーが、
どうにも勢いを失うことがある。
とくに中盤に起こりやすい。

こういう時は、面白くないのを耐えて、
次の面白ポイントまでたどり着くことだ。


あなたは神ではないから、
どの瞬間を切り取っても完璧に面白いストーリーを書ける訳ではない。

あなたが二時間喋り続けたとしよう。
どの瞬間でも面白いか?

いや、どこかはテンションが下がったり、
難しいことを言いすぎたり、
滑ったりする。


しかしトータルで見れば完璧な面白さだった、
なんてことだってある。

完璧な面白さは、
ディテールではなく全体のことだからだ。
(ディテールが完璧でも、
全体としては面白くない話はいくらでもある)


で、つまりは、
「全体が完璧であっても、
部分はつまらないところがある」
ことがあるということ。

すなわち、
「今面白くなくても、
次面白ければ挽回できる」
と考えればいい。
最悪なのはつまらなく感じて挫折してしまうことで、
それよりも、
「次面白くなる」のほうがベターである。

(もちろん、全てが最高になるように、
リライトで上げて行く)


プロットで計画したはずだ。
いくつかの「面白い」と思ったパートがあるはずで、
だから「これは書こう」と思ったはずである。

今は面白くない箇所かも知れないが、
それはプロットで計画した面白い部分とは異なる場所のはずだ。

だから、
「その面白くなるところ」まで飛ばしてしまい、
(適当に間を埋めて)
さっさと面白いところを書いてしまおうぜ、
というのが本題。


面白いことを書いているという自覚があるから、
話は面白く書ける。
しかし、
「俺の書いている話は面白くない」と一旦思ってしまうと、
面白い話も詰まらなく語ってしまうというものだ。

だからさっさと、
「面白いと計画した部分を、
その通りに面白く書く」の部分をやった方がいい。

その面白い場面は、
その作品の軸足になる。

あとは間を埋めて行けばいい。
あなたは、
間の埋め方がイマイチなだっただけで、
面白くない作品を書いている訳ではない。


この巨視的な見方をしないで、
ただ今書いている部分しか見えないから、
「面白くない。自信を失った。やめよう」
になるのだ。
そんなことよりも、
「面白い」と信じた部分を、面白く書く方に努力した方が、
よっぽど作品は良くなる。

その核がいくつも島のようにできれば、
間をうまく埋めていけばいいだけだ。

仮にそこがあんまり面白くなくたって、
面白いパートが光っていれば、
「全体としては良かった」
になるから、安心しておきたまえ。

(そもそもプロットで、
自分が面白いと思ってないものを書いていたのでは、
なにもかもご破算。
面白いと思う部分を作っておこう)
posted by おおおかとしひこ at 10:23| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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