さらに前記事のつづき。
主人公の考え方:A→Xへの変化
敵対者の考え方:Y
のほかにも登場人物はいる。
映画一本だとメインは5、6人がちょうどいい、
と僕は考えていて、
つまり「考え方の数」は、6、7あるということ。
それとデフォルトの考え方もある。
「常識」というやつだ。
その時代のデフォルトの考え方を、
常識と呼ぶことにしよう。
登場人物の考え方は、
多くは常識と共通点があるが、
一部はそうでないところがある。
もし全員が常識人だったら、
ストーリーは起こらないと僕は思う。
それはロボット社会のような、
スマートな社会になり、
それはすなわちデストピアだと思う。
人間は常識を身につけるが、
それは最低限でよくて、
それ以上は考える自由がある。
どんなにいびつで尖っていても構わない。
むしろその歪みこそが個性である。
つまり、
どれだけ常識から離れた考え方があるかが、
その物語の面白みになるわけだ。
人生を取材せよ、というのは、
この面白い考え方を収集していると、
ヒントになるよ、ということなのだ。
もちろん、あなた自身が影響を受けて感化されてもいいし、
「あくまでネタとしての他人の考え方」
としてストックしたっていい。
そして、物語は、他人と他人の争いだから、
あなた自身の考え方ではない、
別の考え方vs別の考え方だ。
極論すれば、
あなたは常識人の関東人だとしたら、
関西人vsアメリカ人vsイスラム人vs月の人
の争いをおもしろく描けるのか、
ということなのだ。
ここに常識人の関東人を出しては、
あなた自身を描いてしまうことになるから、
出してはいけない。
あくまで、
「他人の考え方同士の相違、衝突、
回避、直接対決」
などをおもしろく描けるのか、
ということである。
容易に想像できるように、
各考え方の中には、
共通点と相違点がある。
二つの考え方だったらわかりやすいが、
N個のそれを同時に考えると、
頭がパンクしやすい。
でも、複数の人間を描くということは、
そういうことだ。
市野監督は、「食卓」という、
「食事という同じことをする場」で、
「違うことを言わせ、違うことをさせる」
達人である。
同じことをさせると、
共通点や相違点をあぶり出しやすい。
「仲間だと思っていたのにどうしても納得いかない」
「敵同士だと思っていたが実は近かった」
などは、
こんな場面から作り上げることも可能だ。
学園ものがなぜ人気が衰えないかというと、
このような、
「同じことをさせる場」があり、
そこで共通点や相違点をあぶり出しやすいからなのだ。
(掃除、登校、下校、放課後、テスト、修学旅行、文化祭、
などなど、団体行動やそこから外れることを描きやすい)
「同じことをする」場面の例には、
葬式や結婚式、上京や一人暮らし、出産などの共通イベントや、
バンド、スポーツチーム、会社、スペシャリストチームのような、
「目的が同じだがそこに個性が求められるひとつの集団」
などがある。
同質性を尊ぶ日本人と、
個性を打ち出したい個人と、
周りに合わせて埋もれたい個人と、
色々な要素がからみあうだろう。
また、
個人の考え方Pと、常識Zの配分は、
毎回同じとは限らない。
残虐非道で傍若無人な北斗の拳のモヒカンたちも、
電車にはおとなしく乗るかもしれない。
いつもヒャッハーって言ってるわけではなくて、
「文脈に応じて態度を変える」
ことも人間なら普通にあるだろう。
常にP、常にZであるわけではなく、
「こういうときはP」「こういうときはZ」
というその人の標準的生き方がある。
(そしてそのバランスが、
「いつもと変わる」ときが、ストーリーの始まりで、
目的を持ったときだ)
こんな風に考えていくと、
「考え方」の数を数えることはナンセンスであることがわかる。
「その人の中で首尾一貫していればよし」
だということになっていくだろう。
あなたは、
その人の中に入り込んでその人の気持ちや考え方として、
行動や発言を書いていくが、
同様に俯瞰から見て、
各キャラの共通点や相違点をあぶり出して、
衝突したり和解したりしていく様も、
同時に描くべきなのだ。
これは、
自分がそこにいては出来ない。
贔屓したり俯瞰できないからだ。
やらなければならないことに対して、
自分など無用である。
あなたの個性は結果でしかなくて、
ここで自分の個性をだそうなどと考えると、
各人の考え方の衝突や和解などのドラマから、
焦点を見失うだろう。
(そして何を書けばいいかを見失う)
さて。
これは相当難しいことだと思う。
物語作者は、分裂病であり、
同時に俯瞰統合人格でなければならない。
考え方の比較の出来る、思想史学者のようでなければならないし、
その考え方を行動で示す、活動家でなくてはならない。
あなたのストーリーが面白くないのは、
この他人の考え方が面白くなくて、
考え方同士の衝突や回避や決裂や直接対決や、
影響を受けた変化を、
整理できてなくて、面白く描けていないから、
かもしれない。
2019年10月04日
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