主人公と敵対者が戦う話だろうと、
主人公と誰かが恋をする話だろうと、
主人公と誰かが仲良くなる話だろうと。
ふたつの事情があり、
それの最もよい解決が結論になるべきだ。
勿論、ストーリーというものは何人も登場するから、
ふたつの事情しかないわけではない。
しかしメインは2か3だろうから、
とりあえずふたつと数えることにする。
ふたつといったのは重要で、
どちらにも軽重がないこと、
という意味だ。
主人公の事情だけが大きく膨らみがちで、
その他の登場人物の事情が軽視されてやしないか?
ということをチェックされたい。
もちろん、
主人公の事情こそが感情移入の対象で、
そこに肩入れする作者の主観は当然だろう。
しかし一歩引いてフラットに見よう。
何人も人が、他人がいるとき、
彼らの抱えた個人的事情に、
メインもサブもない。
みんなそれぞれの事情を抱えていて、
みんな解決したがっている。
誰か一人が特別ということはない、
それがリアルだ。
あなたの事情も僕の事情も等価で、
あの子の事情もそのへんの人の事情も等価だ。
国王も大統領もホームレスも関係ない。
事情は等しくあり、等しく皆なやむ。
「ストーリーとは葛藤である」は誤訳であるが、
これを真に受けると、
主人公一人がただ悩み、
他の人は誰も悩んでいないかのように扱ってしまう。
そうではない。
主人公を含めた二人以上が、
主人公同様に葛藤を抱えている。
主人公の葛藤は主観であり、
皆の葛藤をフラットに扱うのは客観である。
あなたは客観的になるべきだ。
なぜなら、(一人称である小説と違い)映画は三人称だからだ。
三人称客観とは、
誰もが葛藤を抱えている状態のことであり、
誰もがその解決を望んでいる、
誰もが事情を抱えた状態のことであり、
それを解決するストーリーのことをいう。
「ストーリーは葛藤である」が誤訳だとするならば、
正しい訳とは、
「ストーリーは葛藤同士の葛藤である」
としたほうが、
conflictの訳出として妥当だろう。
ストーリーの問題を解決する者が、
主人公と呼ばれる。
主人公は、
彼または彼女の葛藤をただ解決するだけでは足りない。
主人公の行動によって、
全員の事情や葛藤が解決するのが、
真のハッピーエンドというものだ。
(例外が一人いる。敗北する悪役である。
彼または彼女の葛藤や事情は、
解決せずに終わる)
つまりあなたは、
ふたつ(以上)の事情を同時に解決するような、
上手い手を考えなければならなくて、
それがクライマックスと呼ばれるものである。
主人公はなぜヒーローなのか?
ふたつの事情を、同時に解決してしまうからである。
(恋愛を描くことが基本的に難しいのは、
双方の事情や葛藤の結論が、
「二人が付き合うこと」しかないように、
上手に誘導することが難しいからである)
2019年10月09日
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