2019年10月09日

ふたつの事情

主人公と敵対者が戦う話だろうと、
主人公と誰かが恋をする話だろうと、
主人公と誰かが仲良くなる話だろうと。

ふたつの事情があり、
それの最もよい解決が結論になるべきだ。


勿論、ストーリーというものは何人も登場するから、
ふたつの事情しかないわけではない。
しかしメインは2か3だろうから、
とりあえずふたつと数えることにする。

ふたつといったのは重要で、
どちらにも軽重がないこと、
という意味だ。

主人公の事情だけが大きく膨らみがちで、
その他の登場人物の事情が軽視されてやしないか?
ということをチェックされたい。


もちろん、
主人公の事情こそが感情移入の対象で、
そこに肩入れする作者の主観は当然だろう。
しかし一歩引いてフラットに見よう。

何人も人が、他人がいるとき、
彼らの抱えた個人的事情に、
メインもサブもない。
みんなそれぞれの事情を抱えていて、
みんな解決したがっている。
誰か一人が特別ということはない、
それがリアルだ。

あなたの事情も僕の事情も等価で、
あの子の事情もそのへんの人の事情も等価だ。
国王も大統領もホームレスも関係ない。
事情は等しくあり、等しく皆なやむ。

「ストーリーとは葛藤である」は誤訳であるが、
これを真に受けると、
主人公一人がただ悩み、
他の人は誰も悩んでいないかのように扱ってしまう。
そうではない。
主人公を含めた二人以上が、
主人公同様に葛藤を抱えている。

主人公の葛藤は主観であり、
皆の葛藤をフラットに扱うのは客観である。

あなたは客観的になるべきだ。
なぜなら、(一人称である小説と違い)映画は三人称だからだ。

三人称客観とは、
誰もが葛藤を抱えている状態のことであり、
誰もがその解決を望んでいる、
誰もが事情を抱えた状態のことであり、
それを解決するストーリーのことをいう。

「ストーリーは葛藤である」が誤訳だとするならば、
正しい訳とは、
「ストーリーは葛藤同士の葛藤である」
としたほうが、
conflictの訳出として妥当だろう。


ストーリーの問題を解決する者が、
主人公と呼ばれる。

主人公は、
彼または彼女の葛藤をただ解決するだけでは足りない。
主人公の行動によって、
全員の事情や葛藤が解決するのが、
真のハッピーエンドというものだ。

(例外が一人いる。敗北する悪役である。
彼または彼女の葛藤や事情は、
解決せずに終わる)

つまりあなたは、
ふたつ(以上)の事情を同時に解決するような、
上手い手を考えなければならなくて、
それがクライマックスと呼ばれるものである。


主人公はなぜヒーローなのか?

ふたつの事情を、同時に解決してしまうからである。



(恋愛を描くことが基本的に難しいのは、
双方の事情や葛藤の結論が、
「二人が付き合うこと」しかないように、
上手に誘導することが難しいからである)
posted by おおおかとしひこ at 22:25| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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