そういうことを益々考える。
この万年筆動画を見れば余計に。
https://m.youtube.com/watch?v=XMolEvB5EqA
https://m.youtube.com/watch?v=pRebkWHsHC0
音声入力に僕がいかないのも、
こうした触覚によるタッチが大事だと思っているからかもしれない。
木で作ってみたり、美濃焼にしてみたり、
3Dプリントのナイロン材にしてみたり、
押下圧や底打ちやバネ感に拘るのも、
ペンタッチのような物理が欲しいからかもだ。
(金属ペンに近いという意味では、
スプリングより板バネの方がいいのかも?)
もちろん最終受けがオンオフのデジタルであるから、
そこまで拘る意味はないのかも知れない。
でも、じゃあメンブレンやパンタグラフのような、
底打ちを1、その他は0みたいなのは、
全く好きではない。
僕はそうしたデジタルのオンオフのようなものに、
万年筆のようなタッチを取り込みたいのだろうと、
今ならはっきりとわかる。
配列が気になってしょうがないのも、
動線が美しくない、合理的でない、
つまり「美しい字が書けてない」
という印象だから、
これだけ色々考えるのだろう。
つまり究極的には、
配列は手書きの書体に相当するのかもしれない。
qwertyは不恰好で無駄ばかり。
行段系はそれをエレガントに工夫したもの。
カタナ式はソリッドなミニマル。
ヌンチャク式は左右決めどっちもアリにした横水平にミニマル。
下駄配列は滑らかで合理的。
飛鳥配列は泥臭いが行書っぽく全部続け字。
新下駄はピアニストのようなエレガント。
親指シフトはタカタカ言いながら進む字。
新JISは通奏低音のよう。
薙刀式は小さい丸を描きながら続け字を書いてる感じ。
フリックはサラサラとメモ用紙に書く感じ。
ペンタッチが違い、書体が違えば、
書く内容も変わってくるだろう。
僕らはアナログの生き物で、
思考はアナログで、
字を書くことはアナログだ。
究極のAD変換器の、水際の部分を考えているのかもなあ。
キーボードは触覚の道具である。
無意識にでもそう考える人が、
自作キーボードをやったり配列をやったりして、
物理や論理の触覚を弄って、
自分好みにチューニングしたり、
合理化したりしているのではないかな。
デファクトで普及した物理と論理は、
触覚として不快だと僕は思う。
思考を書くことは、字を書くことは、
もっと快感でもっと美しい。
2019年10月10日
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