前記事のものは、セリフや略称に限定されるような書き方だった。
本意はそこではない。
パリピのような現象が、
「思考」で起こり得る、というのが本筋。
あなたの脳内で考えたことは、
他の人から見て真っ当か、それとも歪んだ陳腐か。
前者を保てることが客観性を保つことで、
後者になってしまうことが主観に陥ることだ。
そしてその客観性を保つことはなかなか難しい。
すぐに自分の思い込みに陥ってしまい、
気づかない現象が、頻繁に、何度も起こる。
「客観性を持て」などと口を酸っぱくしても無駄だ。
客観性を持とうと思ったってうまく持てないのが客観性なのだ。
自分はまっすぐのつもりでも、
他の人から見たら曲がっていることはとても良くあり、
厄介なことは、
本人だけはまっすぐに見えていることである。
おれは頑張って客観性を保っているよ、ほらまっすぐじゃん、
と言う人にかける言葉は見つからない。
で、歪んでいるのかどうか判定する方法に、
「口に出して言う」ことが効果的なときがある、
と言うのが本題だ。
「勉強を教えた側の方が、
教えられた側よりも記憶が整理される」
という研究が先日発表された。
「教えることによって知識が整理される」というのは、
教えた経験のある人皆が感じたことがある実感だけど、
それが科学的に測定されたということ。
口に出して言う簡単な方法は、
自分のアイデアを独り言でブツブツ言ってみるのが、
最も簡単な方法だ。
設定とか、展開とか、全体のテーマ性とか、
そうしたものを、
紙に書くだけでなく、
口で言ってみるのである。
しかも一回だけではなく、
何回か言葉を変えてやってみるとよい。
大抵の場合、
一回言っただけでは、
よく分からない説明になっていることが多い。
だから、
「これじゃわかりにくいな」と判断して、
二回めはよりわかりやすく言おうとする。
それでもイマイチだったら、
何かを足したり引いたりして、
三回めを言うことになる。
何回やってもいい。
最初から最後まで、アイデア全体のディテールを言うだけのメソッド。
これを何回かやると、
パリピと同じ現象が起こる。
つまり、説明がこなれてくるのである。
音声に出して我々が何か言う時、
無意識の観客を想定している。
その観客が分からなかったら、
アイデアがまずいか、説明がまずいかのどちらかだと見当がつく。
そこで再び言い直しているうちに、
こなれてくる。
わざわざパーティピープルといちいち言わずに、
ここでパリピが、などのように、
短絡してゆく。
つまり、無駄な枝が刈られ、
エネルギー最小の何かに練られるのだ。
アイデアだけに限らない。
プロット全体や、シーン構成のことや、
サブプロットのことや、
テーマのことや、ターニングポイントのことや。
なんでも口に出してブツブツ言うことで、
「口馴染み」を確認できるのである。
この口馴染みは、
作品が完成した時に、
口コミで伝わる伝わり方である。
説明しやすいアイデアが、最も口コミで伝わりやすいものだ。
つまり観客のリアクションを、
アイデア出しの段階でシミュレーションしているともいえる。
口に出して説明しづらいものは、
やっぱりわかりにくい。
逆に口でシンプルに説明できるほどのものは、
練られた美しい構造をしていて、
わかりやすくて強い。
あなたの脳内で作られたあれこれは、
あなたの脳内でしか通用しない可能性がある。
他の誰にでもわかるものだろうか。
他のみんなの前にさらされた時、価値のあるアイデアだろうか。
それは、
ブツブツ言うことで、
ある程度シミュレーションできるわけだ。
他人に説明することで、説明自体を洗練させられる。
コンセプトやログラインも同じくだ。
世界観のオリジナリティとか、
印象的でイコンになる場面とか、
そうしたこともうまく口で説明できるようになっている方が、
伝わりやすい、強い形のアイデアだ。
あ、ブツブツ言うおじさんにならないように、
良い子は人前ではやるなよ。
2019年10月12日
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