2019年10月12日

時々口で言ってみよう2

前記事のものは、セリフや略称に限定されるような書き方だった。
本意はそこではない。
パリピのような現象が、
「思考」で起こり得る、というのが本筋。


あなたの脳内で考えたことは、
他の人から見て真っ当か、それとも歪んだ陳腐か。

前者を保てることが客観性を保つことで、
後者になってしまうことが主観に陥ることだ。

そしてその客観性を保つことはなかなか難しい。
すぐに自分の思い込みに陥ってしまい、
気づかない現象が、頻繁に、何度も起こる。

「客観性を持て」などと口を酸っぱくしても無駄だ。
客観性を持とうと思ったってうまく持てないのが客観性なのだ。
自分はまっすぐのつもりでも、
他の人から見たら曲がっていることはとても良くあり、
厄介なことは、
本人だけはまっすぐに見えていることである。

おれは頑張って客観性を保っているよ、ほらまっすぐじゃん、
と言う人にかける言葉は見つからない。


で、歪んでいるのかどうか判定する方法に、
「口に出して言う」ことが効果的なときがある、
と言うのが本題だ。

「勉強を教えた側の方が、
教えられた側よりも記憶が整理される」
という研究が先日発表された。
「教えることによって知識が整理される」というのは、
教えた経験のある人皆が感じたことがある実感だけど、
それが科学的に測定されたということ。

口に出して言う簡単な方法は、
自分のアイデアを独り言でブツブツ言ってみるのが、
最も簡単な方法だ。

設定とか、展開とか、全体のテーマ性とか、
そうしたものを、
紙に書くだけでなく、
口で言ってみるのである。

しかも一回だけではなく、
何回か言葉を変えてやってみるとよい。


大抵の場合、
一回言っただけでは、
よく分からない説明になっていることが多い。
だから、
「これじゃわかりにくいな」と判断して、
二回めはよりわかりやすく言おうとする。
それでもイマイチだったら、
何かを足したり引いたりして、
三回めを言うことになる。

何回やってもいい。
最初から最後まで、アイデア全体のディテールを言うだけのメソッド。


これを何回かやると、
パリピと同じ現象が起こる。

つまり、説明がこなれてくるのである。


音声に出して我々が何か言う時、
無意識の観客を想定している。
その観客が分からなかったら、
アイデアがまずいか、説明がまずいかのどちらかだと見当がつく。
そこで再び言い直しているうちに、
こなれてくる。
わざわざパーティピープルといちいち言わずに、
ここでパリピが、などのように、
短絡してゆく。

つまり、無駄な枝が刈られ、
エネルギー最小の何かに練られるのだ。


アイデアだけに限らない。
プロット全体や、シーン構成のことや、
サブプロットのことや、
テーマのことや、ターニングポイントのことや。
なんでも口に出してブツブツ言うことで、
「口馴染み」を確認できるのである。


この口馴染みは、
作品が完成した時に、
口コミで伝わる伝わり方である。
説明しやすいアイデアが、最も口コミで伝わりやすいものだ。

つまり観客のリアクションを、
アイデア出しの段階でシミュレーションしているともいえる。

口に出して説明しづらいものは、
やっぱりわかりにくい。

逆に口でシンプルに説明できるほどのものは、
練られた美しい構造をしていて、
わかりやすくて強い。



あなたの脳内で作られたあれこれは、
あなたの脳内でしか通用しない可能性がある。

他の誰にでもわかるものだろうか。
他のみんなの前にさらされた時、価値のあるアイデアだろうか。
それは、
ブツブツ言うことで、
ある程度シミュレーションできるわけだ。


他人に説明することで、説明自体を洗練させられる。

コンセプトやログラインも同じくだ。
世界観のオリジナリティとか、
印象的でイコンになる場面とか、
そうしたこともうまく口で説明できるようになっている方が、
伝わりやすい、強い形のアイデアだ。



あ、ブツブツ言うおじさんにならないように、
良い子は人前ではやるなよ。
posted by おおおかとしひこ at 12:29| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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