2019年10月13日

逃げる

端から命を懸けて戦う人などいない。
出来れば逃げたい。
戦うよりもっと楽な選択肢があれば、
そちらを選ぶ。
命を懸けるリスクなど取らないし、
勇敢さを見せるよりも、死なない方を取る。

そのリアルは描けているだろうか?


そもそも物語とは闘いである。
しかしそれは最後の手段だ。
もっと楽で、そんなリスクを取らない方法があれば、
人はそれを取る。

人は、勝てる戦いしかしない。
勝つか負けるかの戦いなどしない。
万全の準備をするか、戦わず逃げる選択肢を取る。
それが多少損したとしても、もの凄い損をするくらいなら、我慢する。

しかし物語とは戦いである。
つまり物語を書くこととは、
退路を断つことを描けるか、ということでもある。

事情によってそうなる、
周りのことによってそうなる、
主人公の意地でそうなる。
なんでもいいが、
そのリスクに賭けるほど、
逃げないことを選択していることに理由が必要で、
物語を書くこととは、その理由を用意することでもあると言える。

そして、そのリスクが納得いかないとか、
説得力に欠けると、
その物語は嘘くさくなるのである。


最初はリアルに書けていたとしても、
展開の途中でそれが欠けることがある。
逃げればよいのに。
もっと楽な方法があるのに。
それに挑む意味が分らない。
それを避ければいいのに。

なぜそれを避けずに、
わざわざ闘う必要があるのか。
なぜ逃げないのか。
それを毎度毎度疑問に持たせたらアウトだ。
その疑問を一回もしないように、
闘うだけの退路を断つことだ。


主人公は逃げない。
逃げない、勇気のある男だからではなく、
逃げる選択肢はもうないからで、
賭けをするギャンブル狂ではなく、
それに賭けるしか方法がない、
追い詰められた人間だからだ。

危険があれば人は逃げる。
台風が来れば逃げる。
なぜ危険に立ち向かうのか。
逃げないのか。

それを納得させられたとき、
観客は言い訳を用意されて、
戦いにのめりこめるのだ。
観客は闘いに酔いに来ているといっても過言ではない。
「これ逃げれば助かるのに」と思われたらアウトである。

だから、たいてい最初は逃げる。
言い訳をつくり、危険から遠ざかる。
それが危険の真っただ中にいくから、物語がはじまる。
はじまりは、逃げる選択肢がなくなったときだ。
posted by おおおかとしひこ at 15:44| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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