端から命を懸けて戦う人などいない。
出来れば逃げたい。
戦うよりもっと楽な選択肢があれば、
そちらを選ぶ。
命を懸けるリスクなど取らないし、
勇敢さを見せるよりも、死なない方を取る。
そのリアルは描けているだろうか?
そもそも物語とは闘いである。
しかしそれは最後の手段だ。
もっと楽で、そんなリスクを取らない方法があれば、
人はそれを取る。
人は、勝てる戦いしかしない。
勝つか負けるかの戦いなどしない。
万全の準備をするか、戦わず逃げる選択肢を取る。
それが多少損したとしても、もの凄い損をするくらいなら、我慢する。
しかし物語とは戦いである。
つまり物語を書くこととは、
退路を断つことを描けるか、ということでもある。
事情によってそうなる、
周りのことによってそうなる、
主人公の意地でそうなる。
なんでもいいが、
そのリスクに賭けるほど、
逃げないことを選択していることに理由が必要で、
物語を書くこととは、その理由を用意することでもあると言える。
そして、そのリスクが納得いかないとか、
説得力に欠けると、
その物語は嘘くさくなるのである。
最初はリアルに書けていたとしても、
展開の途中でそれが欠けることがある。
逃げればよいのに。
もっと楽な方法があるのに。
それに挑む意味が分らない。
それを避ければいいのに。
なぜそれを避けずに、
わざわざ闘う必要があるのか。
なぜ逃げないのか。
それを毎度毎度疑問に持たせたらアウトだ。
その疑問を一回もしないように、
闘うだけの退路を断つことだ。
主人公は逃げない。
逃げない、勇気のある男だからではなく、
逃げる選択肢はもうないからで、
賭けをするギャンブル狂ではなく、
それに賭けるしか方法がない、
追い詰められた人間だからだ。
危険があれば人は逃げる。
台風が来れば逃げる。
なぜ危険に立ち向かうのか。
逃げないのか。
それを納得させられたとき、
観客は言い訳を用意されて、
戦いにのめりこめるのだ。
観客は闘いに酔いに来ているといっても過言ではない。
「これ逃げれば助かるのに」と思われたらアウトである。
だから、たいてい最初は逃げる。
言い訳をつくり、危険から遠ざかる。
それが危険の真っただ中にいくから、物語がはじまる。
はじまりは、逃げる選択肢がなくなったときだ。
2019年10月13日
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