2019年10月15日

Aの為にBをする

「目的」と言ったとき、Aを指すのかBを指すのか、
人によって、文脈によって違うのでややこしい。


仮にBが「人を殺す」だとしても、
Aが「世界を平和にするため」だったらどうか?
これは正義である。
(背景の文脈にもよる)

悪は悪を成そうとしているのではない。
正義をしようとしている。
昨今のSNS警察だって、Aは正義だ。


A「世界を平和にするため」に、
B「人を殺す」
人がXだとして、
その逆に、

A「世界を平和にするため」に、
B「人に親切をする」
をしているYがいたらどうか?

この両者はコンフリクトを起こす。
つまり大きな目標Aは同じかもしれないが、
ルートBが全く違い、根本思想も違うわけだ。

二人は敵同士ではなく、ライバル関係になる。
大きな目標Aが同じだからね。
ただ流派が違うというだけのこと。


もちろん、人道上の問題とか、道徳的なこととか、
法律とか、世間の常識とか、気持ちとか、
世論の背景文脈とか、
いろんなことで、XとYは世の中から受け入れられもするし、
排除されもする。
(Xの代表ヒトラーは、ドイツにとって熱狂的正義だった。
小泉純一郎のようにだ)


さて。
Aはセンタークエスチョンと関係する。
これを実現することが最終目的であり、
ストーリー終了条件と言ってもよい。
こうなれば世界は閉じるわけだ。

それに対して、Bという手段で解決しようとするのが、
具体的なプロットラインになる。


最初にあげた例はストーリーを始めるにはまだ弱い。
もっと具体的でないと、
終了条件が見えなくなる。

XのBはたとえば「世界各国の腐った政権を皆殺しにする」
としよう。具体的な終了条件が入ってわかりやすくなる。
さらに具体的にするため、
「自らリストアップした100人を殺すことで、
Aが達成される」と分析した男だとしよう。

一方YのBも具体的にしよう。
「道行く人全員に親切にする」にしたとしよう。
しかし終了条件が曖昧だ。
「1000人に親切にする」にしようか。
さらに限定的にして、
「所属する村全員に親切にする」としてみよう。

YはAの為にはそれが最適解であると信じているわけだ。
(このままではリアリティがないが、
これがいかにもそうだと思わせるように、
Yのキャラクターや世界設定を作ってしまうのが、
フィクションの醍醐味である)

さて。

コンフリクトするかと思われたXとYは交わるか?
交わらないだろう。

Yの親切は村に伝わり、その村が平和になるだけ。
その一方政治家たちをXは殺して、世界は少しだけましになる。
互いに互いの仕事をして終わりになる。

これを交わらせようとするのがストーリーなのだ。
たとえばYが最初に親切にした人が出馬して、
その人をXが暗殺しようとしていることを、Yが知ればよい。
こうすることで、
Xの行動を阻止しようとするYの行動が生まれる。


このとき、Yの目的Bは変わるか?

いくつかのグラデーションがある。
1. 一人の暗殺を阻止さえできれば、あと99人死んでもよい。
2. 暗殺を阻止し、Xを改心させる必要がある。
3. 暗殺を阻止し、Xを殺す必要がある。
4. Xの仲間になり、100人殺すことで、逆にAを達成させる。

どれが一番面白くなりそうか?

また、
Aが達成されたとき、
どれが一番テーマを語るのだろうか?
「人に親切にするのが一番だ」なら2だろうし、
「平和のためならば最小限で犠牲が必要」なら4だろう。

道義的道徳的なことは置いといて、
論理的な構成とはこういうことだ。


いずれにせよ、
Xと出会うことで、Yの目的Bは変わる。
これをCとすれば、C1〜C4のグラデーションがある。

この時、Bを忘れてしまうかどうかだよね。
C4になるならば、Bなど意味がなかったと悟るだけの、
強烈な説得力のあるエピソードがあればいい。

C3だと、Xを殺すことに葛藤がある。
C2だと、Bを保ったまま行動を続けられる。


Yの目的は、

大きくは世界平和であり(A)、
  その為には村人全員に親切にする必要があり(B)、
    そのうちの一人を殺そうとするXを説得して、
    彼にも親切にするべきだ(C2)

のような、入れ子構造になるわけだ。


さて、
これが面白いかどうかは、
ABCあたりの目的に、関心を持ち、感情移入できるかで、
決まってくる。
今のところそれだけのものを思いつかないので、
これ以降は書かないが、あくまで例として作ってみた。



目的は複数あり、
それらはカスケード構造(ファイル構造のような)になっている。
それらはストーリーの進行によって、
変わりうる。(ターニングポイント)
その時、
前の目的と矛盾しないようななにかがない限り、
人は前に進まない。
逆に矛盾しないなにかの線が見えたとき、
人は行動を起こす。


大きくは目的はひとつだ。
しかしその、
具体的終了条件のある小目的を見ると、
ストーリーのそれぞれで千変万化している。
しかも優先順位は時々で変わる。

「爆発!逃げろ!」
とかの緊急事態で、
これまでの目的をすべて棚にあげる箇所すらあるだろう。


「ファイアパンチ」が下手なのは、
この目的BC…が、まるで前のものがあったことを忘れたかのように、
次に進んでいることだ。
同じ人格の中で矛盾を起こさないかチェックしていない。
で、困ったら暗転して誤魔化したり、
時間経過でブッちぎったりしている。
「もう前のは忘れてください。これからこれで行きます」
を何度もするから、誰も信用してくれなくなる。
狼少年のようである。



「目的」を考える時、
あなたはAを考えているのか?
それともBを考えているのか?
その具体的終了条件はなにか?

これを、少なくとも何人ぶんかを考え、
時々でB→C→D→…と変わって行き、
その人の中で矛盾しないようなその人なりの納得を作れたら、
その人は行動をし始める。

そして競合する目的の他人に出会ったときに、
目的を変更するか修正するかを迫られるわけである。
posted by おおおかとしひこ at 12:57| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なるほど。

ぼくはセンタークエスチョンと動機を混同していたのですね?

センタークエスチョンAは絶対、不動。
動悸Bは物語の状況によって可変してよい。

という理解でよろしいのでしょうか?
Posted by こん at 2019年10月17日 20:13
>こんさん

このへんの言葉は専門用語でも混乱してると思います。
ぼくも時々違う意味で書いてたりしますので。
ということで、そのような理解で書くと、
分かりやすいかと思います。

名作を3本くらいピックアップして、
それぞれの表を作ってみると、
勘所がつかみやすいと思います。
Posted by おおおかとしひこ at 2019年10月17日 20:18
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