2019年10月17日

その作品で味わえるのは、どういうオリジナルな感覚か

これに答えることができたら、
その作品はコンセプトがしっかりしていると思う。


たとえばホラーものなら、
追いかけられる恐怖とか、
閉じ込められた恐怖とかだろう。
頭脳ゲームや法廷ものならば、
独特の罠と独特の突破だろう。
どんでん返しものならどんでん返しだろう。
(最近はどんでん返しがあると悟られない為に、
「ラスト10分の衝撃」「怒涛のラストを見逃すな」
なんて売り文句があるよね)

しかしこの程度のディテールでは、
まだジャンルを狭めた程度にすぎない。

もっと狭める。
つまり、
「この作品にしか存在しない、
オリジナルの感覚とはなにか?」
にまでだ。

それを具体的に言葉に出来るか?
という問いである。


「かつて味わったことのない感動」ではダメで、
「胸キュン必至の青春ストーリー」でもダメ。
もっと具体的に。

たとえばゾンビものが初めて世の中に登場したとき、
「死なない追っ手がずっと追いかけてくる」
(しかもゆっくりと)
が、その作品でしか味わえない独特の感覚だった。

「カメラを止めるな!」は、
「前半戦では何の意味もないと思われたことが、
後半戦で全部判明して覆って行く」
という構造が、その独特の新しさだと思われた。

だがこれは映画史に無知ゆえの誤解で、
「運命じゃない人」をはじめ、内田けんじの一連の映画や、
アンジャッシュのコントなど、先行作品が沢山あることについては述べた。
つまり、カメ止めには、
その作品でしか味わえない、独特の感覚などない。


他に似たものがある、と思われるのはアウト。
「似たものがあるが、
ここがかつてなかったオリジナル」が示せれば良い。

そして、そのオリジナルの部分が、
強く面白くなくてはならないということだ。


それは仕組みなのか、
これでしか味わえない展開なのか、
そこでしか味わえない感情なのか、
そこでしかない絵なのか、
何でも良い。

ああ、これは今までなかった感覚だ、
とビビッとくればよい。


これは一つだけでいいのか。
複数あるといいのか。
出来れば複数あるとよい。
その中で強い一つが目立つと更に良いだろう。


容易に想像される通り、
それが強ければ強いほど、
具体的であればあるほど、
オリジナルであればあるほど、
予告編がシンプルに強くなる。

「その作品は何か」を一言で伝えやすくなるからだ。
(ワンワードでなくても、一行程度でよい)


それを、コンセプトということに、僕はしている。


テーマとか動機とか目的とかターニングポイントとかキャラクターとか、
事件とか解決とかサブプロットと違う次元に、
コンセプトは存在する。
ウリという言葉に近いものだ。
話を最初から最後まで見なくても、
それを提示されたら、
「それが見れるのなら見たい」と思わせる何かだ。



ドラマ風魔はなんだろう。

「学園忍者アクション」というキャッチコピーは、
ジャンルを示しているだけでコンセプトではない。
(学園忍者アクションなら、さすがの猿飛もコータローまかりとおるもある)

イケメン19人とか、殺陣が凄いとか、技の再現度が凄い、
なんてこともウリだけど、
「独特の感覚」まではいかない。

僕は、
「車田漫画のぶっ飛んだ外連味を、
笑いも涙も愛もある、きちんとした王道ストーリーで膨らませたこと」
だと考えている。
もちろんこれは車田漫画を知ってる人じゃないと理解できないから、
風魔の小次郎を説明するところからやるならば、
「忍者アクション、時々メルヘン」
あたりがいいんじゃないだろうか。

あるいは、
仲間が次々死んで行く寂寥感を、
ドラマ放映時はOPに引っ掛けて「アディオス」
などと呼ばれていたが、
この「アディオス感」は、
他のドラマではあまり味わえない感覚だよね。
(EDの映像がどんどん意味を持っていく感じとか)



そういう風に自分の作品を冷静に見れた時、
はじめて作品の外に自分が立ち、
かつ中身がそれに従って整えられている、
と認識できたことになるではないか。

自分が作品の中にいて客観的に見れなくなっていたり、
中身がぐちゃぐちゃで、
コンセプトに沿って整理されていないときは、
「その作品で味わえるのは、どういうオリジナルな感覚か」
の問いに答えられないと、
僕は思う。
posted by おおおかとしひこ at 00:32| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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