2019年10月18日

寝かせる間にすること

書き終えたら必ず「しばらく見ない」を徹底しなさい。
見たら必ず直したくなる。

しかし本当に必要な直しは、
原稿そのものを見ながらやるのではなく、
「原稿を見ないでする直し」だ。
それには、「しばらく見ない」が有効。
なぜか。なにをやるのが本当に必要な直しなのか。


書き終えたあとのあなたは、
興奮し、何かを成し遂げた達成感や万能感でいっぱいである。

(そしてそれがあとに冷静になり、
俺はなんて馬鹿なものをいいなどと思ってたんだ、
やっぱり俺には才能がない、
と反動がやってくるものだ)

今のうちに、
その原稿そのものを見ずに、
その、興奮して成し遂げた(はず)のことを、
どういうことかをメモしておくのだ。

それは具体ではなく抽象的であるほど良い。
たとえば、
「いまだかつてないワクワクした大冒険」とか、
「こんなどんでん返しで泣けるやつはない」とか、
「悲しみと喜びと深い人生と」とか、
「あまりにも完璧な作品」とか、
「誰かの不幸を願わずにはいられないとぐろを巻いた感情」とか、
なんでもいい。

自分が達成でき、興奮した何かでよい。

何かに似てるだろうか?
AやBやCに似てるとしよう。
しかし○○の点でAを超え、△△の点でBを超え、
××の点でCを超えた、
などと思っているはずで、
それもメモするのだ。

何でも良い。
あなたが達したと思う、いいことを、
端から端までメモし尽くしておけ。


これをしばらく置いておくと、
達成したことXを、
もっと強力にするアイデアが湧くことがある。
逆のYから駆け上がればもっとコントラストがつくぞ、
とか、
Zの捻りを入れたらもっとよくなるぞ、とか。

あるいは、Xに到達するならば、
Pという前提から始めた方が絶対良くて、
そもそもの設定を変えた方がより良くなる、
などと湧いてくることもある。

これは非常に大事なことで、
長所を出来るだけ伸ばすにはどうすればいいか?
ということを妄想していることになる。


原稿を見て直そうとすると、
欠点ばかりが目につき、
「Xに達していない、俺はダメだ」ばかり嘆いてしまう。
あるいは、限界点がX止まりになってしまう。

そうではなく、
「俺はXまで達したぞ。
さらに良いXになるには、どうすればいい?」
を考えられるのは、
真の姿を見ない、「イメージの中での粘土捏ね」
が有効なのだ。


Xに落とすための前提P、
一回捻りを入れるQ、
逆の要素Yなどがあった方が理想だな、
などと判断できるのは、
「Xは面白い」「Xをもっと良くしよう」
と熱いうちの鉄のときに、
やっておいた方がいいのだ。

つまりこれは、骨をもっと強化しようということなのだ。


目の前に原稿があり、それを直すのだとなると、
近視眼的になり、てにをはの直しとか、
順番を変えるとか、その程度しか直せない。

そうではなく、見ずに直す。

根本のところを枝葉に邪魔されずに直すのは、
全体が頭に入っている、
ホットな時が一番いいのである。


これに慣れておかないと、
「今自分は全体を直している」
「今自分は瑣末なディテールを直している」
「今自分はその中間的な層を直している」
などと、
自分で自覚できなくなるし、
「直しの粒度」を自分でコントロールできなくなる。

たとえば、シーンとシーンの関係を直そうとしているうちに、
人物描写やセリフが気になり、
それを直してしまっているうちに当初の直しが進まず、
直した気になってしまう、
などの現象がよくあるのだ。

一番引いた目で見ることの練習は、
「それを見ないで直す」こと。

一番引いた目とは、「見終えたあと
(全てが終わった後)の読後感」だからだ。


この一番引いた目が出来たら、
「一幕だけ考えよう」
「前半だけ考えよう」
「この屋外の連続3シーンだけ考えよう」
「人物の動機や目的の変遷についてだけ考えよう」
「人物関係の変化だけ抽出して考えよう」
などのような、
部分的なコントロールが、
効くようになってくる。


で。

そこまで見ずに考えたら、
その直しをベストと思い、
寝かせることだ。

最低三週間、出来れば数ヶ月。

で、まずはメモを一切取らずに一気読みして、
思った反省文をしたためよ。

それは批判に満ち、
ディテールの直しばかり要求して、
「Xをより強化する直し」を考えないと思う。

で、直後に書いたメモと突き合わせて、
長所を伸ばす直しと、
欠点を修正する直しを、
同時に並べ、
これらをどのように考え、
受け止め、
最終的にどうするべきかを、
よくよく考えるのである。


あの時の俺は勘違いしていたにすぎないか、
それともここまでは達成できていて、
これからこうすればここまでは到達出来ると判断するかは、
冷静に戻ったあなたが決めれば良い。

ただし、達成感や全能感をより伸ばす直しは、
他人はなかなか指示できない。
他人は欠点の方が気になるからね。


そうして理想を描く。

何も考えずに直すよりも、
冷静と情熱の間を行き来しながら、
理想をメモしたものがあれば、
そこに到達しないにしても、
かならず生き生きとした直しになるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 10:17| Comment(3) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。いつもブログを大変興味深く拝見させて頂いております。シナリオ執筆の参考書として、自分には最高のテキストであるように思われます。
私は、某シナリオセンターで約半年弱20枚シナリオという形でシナリオ執筆の基礎を学び今年5月に卒業しました。
そして初めての長編に挑戦しました。
20枚シナリオとはまるで違って長編は兎に角最後まで書き上げるのが、大変でした。
途中で何度も「なんてつまらない作品なんだ」と飽きて執筆を断念し、別のアイデアの誘惑にのりそうになりました。
が、このブログで「兎に角一度最後まで書き上げよ」という話を読み、それを信じて昨日なんとか最後まで書き上げることができました。
ペラ120枚、予想尺二時間です。
そして、今、興奮しています(笑)
その正に今、この投稿を読みました。
初めて長編を書き上げた自分には目から鱗の内容で、とても参考になりました。
是非この内容に沿ってメモをしてみようと思います。
Posted by 幻無後 at 2019年10月18日 18:07
幻無後さんコメントありがとうございます。

お疲れさまでした。なかなかできないことだと思います。

熱いうちに鉄は叩いておくべきですが、
そういったアドバイスはあまり聞いたことがないな、
と思って書いた次第です。

しばらく原稿を一切見ずに放置した後、
(三週間以上が理想)
久しぶりに読んでみて、愕然としてみてください。
多分どこで見た映画よりも糞シナリオです。

その時首をくくるか、過去の自分のメモを見るかを選択してください。
冷静と情熱の間の、フラットな心を取り戻せます。
Posted by おおおかとしひこ at 2019年10月18日 21:14
お返事ありがとうございます。
アドバイス通り、ひさしぶりに読んで「なんてつまらないシナリオなんだ!」と思う一ヶ月後を楽しみに寝かせておくことにします。
Posted by 幻無後 at 2019年10月19日 08:05
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