2019年10月23日

違うところへ連れてってくれること

旅が何故おもしろいのかを考えればわかる。

全然違うところへ行くからだ。
物語も同じ。

どう違うところへ、その物語は連れてってくれるのか?


「かつてない冒険が始まる」
「かつてない豊かなキャラクター」
「かつてない世界観」
は、実はあたりまえなのだ。

物語のデフォルトだといってもいいくらいだ。
それが一体どう新しいのか、
かつてないどういうタイプなのかが問題なのだ。


人は今までにないものを見たとき、
それを言葉にする方法を持たない。

だから、似てる何かを探し、
「○○のようだ」という。
その比喩が合っているとは限らない。
その○○がひとつだけでなく複数あり、
そのどれとも異なる場合、
それはかつてない何かである可能性が高い。

出来るならば、
それに名前を与えると良い。
その瞬間、その新しいものを指す枠組みが、
それになるからだ。

そうとしか表現できない何かに名称を与えると、
それでしか表現できない何かだと、人は認識する。

ツンデレという言葉がなかったときは、
ツンデレは存在しなかった。
しかしその言葉ができた瞬間、
それは存在したのだ。

サウダージという、ガリシア語圏にしか存在しない言葉があって、
wikiによれば
「ポルトガル語が公用語となっているポルトガル、その旧植民地ブラジル、アフリカのアンゴラなどの国々で、特に歌詞などに好んで使われている。単なる郷愁(nostalgie、ノスタルジー)でなく、温かい家庭や両親に守られ、無邪気に楽しい日々を過ごせた過去の自分への郷愁や、大人に成長した事でもう得られない懐かしい感情を意味する言葉と言われる。だが、それ以外にも、追い求めても叶わぬもの、いわゆる『憧れ』といったニュアンスも含んでおり、簡単に説明することはできない。」

のようなことを言う。説明されてもやっぱり分からないが。

この曖昧模糊とした感覚こそが、
我々が目指すべき、
新しい何かである。

その違うところへ連れてってくれることが、
旅の目的であり、楽しみだ。

なんだか分からないものを提示しても理解できないから、
予告し、順に理解させ、
出来るならば新しい名前をつけてしまうと、
「私はいつもと違う○○を見たのだ」
と納得させることが可能かもしれない。
もちろん、何かに似ている何かとかで説明してもいい。


一番まずいのは、
「既にあるどこかへ連れまわすこと」だ。
せっかく旅に出たのに、
いつもの駅から家への帰り道へ連れてかれても、
どこが旅やねんとなるに違いない。

観客には、まるで違う新しい旅に出かけさせるべきである。

新しいことへの好奇心、
少しの不安、
必ず家へ帰れるという安心感、
ある程度の予期、
旅の目的(なんとなくでもいい)、
それらが揃って初めて、
旅に出かけることになる。


あなたのストーリーの中の、
どれがその要素になる?

それはガワで一番目立ち、
二幕の非日常世界の主要要素で、
メインプロットかテーマかクライマックスか、
ラストシーンに関わる何かであるべきだろう。

つまり、それはガワであり背骨であるような、
「貫かれる本質」であるべきだということ。

単なるアイテムとか一場面とかで、
新しい何かになってもしょうがないのだよね。

さらに理想を言えば、
それがタイトルになっているのが最高だ。


あなたのストーリーは、
どんな違うところへ連れてってくれる?
どう期待させてどう満足させる?
あなたは旅のツアーコンダクターだ。
その旅にどういう名前をつければ、
期待させて、終わった後に満足させて、
しかもその名前で人々に広まる何かになるだろうか?

僕は評論家やマスコミのネーミングにもはやそれを期待していない。
ネーミングするのは作者の責任じゃないかと、
最近は考えている。
posted by おおおかとしひこ at 02:17| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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