2019年10月23日

執筆は体操演技に似ている

まさか体操の演技を、アドリブでやっていると思っている人はいないだろう。

技の組み立てやテンポは事前に十分計算されている。
ただ踏切をもう少し早くとか、姿勢をもう少しだけ丸くとかは、
アドリブで行われているだろう。

執筆も同じだ、というのが今回の趣旨。


執筆は体操競技に似ている。

体操演技における技の組み立ては、
脚本だとプロットにあたる。

十分に計画され、計算された流れのことだ。

それを競技者は何度も何度も練習する。
そしてその最も出来のいいのが、
本番で出来るようにする。


執筆も同じである。

ひとつのプロットができた時、
それを最初に演技してみたのが第一稿だ。

完成度が低いに決まっている。
まだ全体の流れは悪く、
いいところは少ししかなく、
もっといい演技になるはずだ。

何度も練習するのは、リライトに似ている。

プロットを何度もなぞり
(頭の中で/実際に書いて)、
そのプロットの意図するところを、
最もうまく書けたテイクが、
最終稿であるべきだ。


原稿の便利なところは切り貼りが可能なところで、
全演技を完璧にしたものを一回だけ通しでやる体操競技と違い、
よかったところだけ前のものを貼り付けできる。
(一番いいテイクだけを集めればベストストーリーになるか、
というとならないのだが、それはいつかどこかで議論する)


原稿というものはこのような性質がある。
なんなら、現在の原稿の状態を鑑みて、
技の組み立てを変えることすらある。
プロット時点では気づいていなかったことを、
現場からフィードバックするからね。


リライトこそ真の執筆だ。
文字数において、元原稿の何倍も字を書くことになる。

もし一回だけ書いて納品なら、
「一回だけ通しでやればOKの体操演技」のような、
完成度の低いものでしかないだろう。


小説賞の5chスレッドを眺めると、
一発書きで見直しなしで出す人がわりといることにびっくりする。
見直しも誤字脱字チェックくらいらしい。
え?そんなもんか?ちゃうやろ。
第一稿なんて3合目ぐらいだろ。
第一稿なんてちゃっちゃと半年前に書き終えて、
半年かけて数回リライトしないのだろうか?


最初の通し演技なんてひどいものだ。
一応出来てはいるものの、
技のつなぎは悪いし、
なぜこれをここでやるのか、意味もわからずやってるし、
あれのつなぎをこれに生かしてないし、
深く掘れたものでもないし、
初見の人にスッと入るものでもない。

それらをどれだけ磨き上げていけるかは、
経験によるところが大きい。
やり慣れている人ほど、早く、豊かに、何回でも出来る。

僕は「最後まで書けないんです」なんて言ってる奴の意味が分からない。
最後まで書いてからが、
ようやく猛練習のはじまりだというのに、
まだ何にもしてないじゃないか。


最高の執筆にするために、
何度も何度も同じところを書く。
日を変えて書く。書き方を変えて書く。
プロットもアレンジして書く。
第一稿を書き終えてからが、
ようやく書くことの始まりだと僕は思う。
第一稿なんて、ただの試作品だぜ。

高度な作品であればあるほど、
精密で正確な仕上がりが必要だろう?
全場面がそうなるには、
一発目の通し演技では足りないよね。
posted by おおおかとしひこ at 13:04| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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