2019年10月20日

カウンターを当てる(「ジョーカー」批評2)

ネタバレありで。
今回の脚本で上手なのは、カウンターを当てるのがとても上手だったこと。



テレビで取り上げられる→嘲笑われた
地下鉄で殺した→そのまま女と関係を持った
絶望の中女に会いに行った→関係を持ったのは妄想だった
政治の話は禁止な→政治の話しかしない
自分は富豪の息子→母親の妄想だった
警察からの電話かと思った→テレビ出演依頼の電話
階段でテレビに行くため踊り狂う→刑事に見つかる

絶頂から絶望へ、
絶望から希望へ。

直前と真逆のカウンターを当てて、
状況は上へ下へとふれまくる。

この感覚が、
何も信じられなくなり、
心を閉ざすしかないアーサーの心と、
我々の感情を一致させることに役立っていた。

そんなことがあったら、
俺もジョーカーになったかもしれない、と。

悪への感情移入だろうか?
正義への感情移入だろうか?

何が悪で何が正義か、まるでわからない。
本音と建て前の論争に見えたことも、
カウンターであると思う。
posted by おおおかとしひこ at 23:46| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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