2019年10月22日

信用できない語り手(「ジョーカー」批評4)

ミステリーの専門用語だけど、
叙述トリックを仕込む時に、
「信用できない語り手」Unreliable narrator
を使う手がある。
そういう意味では今回のアーサーはそれに該当する。


色々思い出して不思議に気づいた。

なぜ、解雇したボスを殺しに行かなかったのだろう?
なぜ、看板を盗んだガキを殺しに行かなかったのだろう?

隣人の女が妄想だったとわかった後、
雨に濡れて侵入した深夜の部屋で、何をしたのだろう?
(レイプからの殺人? しかし騒がれたら負けだから、
なにもせずに間違えましたと出てきたほうが、
ヘタレっぽくてありそうだ)


このあたりの辻褄が合っていない。

これはミスだろうか?
恐らく意図的なものと考えられる。
(子供を殺すシーンはハリウッドでは御法度、
という事情は鑑みても)

シュレディンガーの猫を仕込むためだ。
「どっちかわからない」という。

「これは全てジョークかもしれないし、
本当にあったことかもしれないし、
基地外の妄想かもしれない」
と仕込むために、
「わざと辻褄を合わせなかった」と考えられる。

もしこれが、正常な、
信頼できる語り手であったならば、
クライマックス、司会者を殺したあと逃げ、
(捕まえようとする警備員は暴動対応で出払ったとしよう)
隣人の女をレイプし、そのあと殺し、
ボスを殺しに行き、看板を盗んだガキを殺して看板を取り返し、
その閉店した店をめちゃくちゃにして、
暴動に加わり神になっていただろう。

これがバットマンの中のジョーカー誕生譚であれば、
そうなっていた。
「理解させるための過去話」の文脈だから。

しかしこれは単独話で、
単独話なりのアイデンティティを持たなければならない。
それが、「信用できない語り手」
という仕掛けだったのではないかと考えられる。

だってタイトルは「ジョークを言う者」だろう?と。

ジョークは、辻褄なんかどうでもいいのだ。



秋葉原で暴れた加藤も、
京アニを爆破した青葉も、
無敵の人で、アーサーだった。
アーサーと異なるのは、
上級国民を倒さなかったことだ。
倒してれば英雄だったろうか?

アーサーは、上級国民、既得権益者を殺して英雄となったが、
それは「信頼できない語り手」という留保つきの、
いわばいくつもの御都合主義が働いている。

そうでなければフィクションであっても英雄になれない、
という、これは大いなる皮肉かもしれない。

つまりこれは、
現実に対して、
フィクションの敗北を認めたようなものだ。

御都合主義で辻褄が合わないと、英雄になんかなれないよと。
フィクションとはそのような嘘のことですよと。

それも、ジョークかもしれませんよと。


アンチヒーローとは、
アンチテーゼによって世の中を揺さぶる者のことをいう。
その意味でジョーカーは、
強烈なアンチテーゼを現代の
「平等という建前の、実質固定階級社会」に投げたわけだ。

この映画には、
上級国民のスーツを着た白人、
スーツを着てないが仕事を得ている黒人、
そしてアーサーと母がそれより下に見られて、
あとは仮面を被ったその他大勢しか出てこない。
アーサーの友達は誰もいない。
仮面を被る大衆とは、その場で浅く繋がる。

これが現代社会の窮屈さそのもので、
これを覆すには、
実際の暴動でも効果がなく、
フィクショナルなジョークを言うしかないぜ、ハハン、
というところまで、
僕は読み取った。

つまりこれは、
タクシードライバーとは真逆の結論だ。
主人公はやり方さえ間違えたが、
世界を覆す可能性はまだ見出せた。
ジョーカーは、可能性などないから、それをジョークにしてみせたのだ。

可能性がない奴はフィクションで楽しんでなと。


これはフィクションの再定義を試みた作品である。
その出来に10点をあげるけど、
僕はこの意見に全面的に反対だ。
posted by おおおかとしひこ at 14:52| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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