圧倒的なピアノシーンの数々は堪能したが、
人間の物語が小さすぎる気がした。
アクション映画はアクションが凄ければそれでいいんだよ、
という説もある。
しかし僕は、人間ドラマがちゃんとすごくて、
アクションもちゃんとすごい、ロッキーみたいなのが好きなので、
「かつての演奏中止を乗り越える」方法の小ささには、
とくに感動を覚えなかった。
ふつう。
小説の映画化の難しさは、
途中途中のいい場面の切り貼りになりがちなことで、
主たる葛藤を中心に背骨を作り直すことが、
とても難しいことだ。
天才16歳との連弾、母との連弾、
海で足音で曲を奏でる、
松坂の背景、
などに良いものがあったけど、
それが、
「かつて演奏できなかったトラウマを乗り越える」
ことに寄与していない。
世界は音楽に満ちていることは分かったけど、
その曲と世界が音楽に満ちているのかとか、
世界が音楽に満ちてない状況とはどういうものか、
が特に表現されていない気がした。
そしてその逆転が、
「ただ気づくだけ」というのは、
とても小さな乗り越え方だなあと。
「コンクールもの」
という一幕ものにしたのは良い構造だが、
結局出場者たちの出落ち(過去話)になりがちで、
彼らの現在が弱いと感じる。
「オーディションもの」の代表の、
コーラスラインと何が違うか考えたいが、
単に僕が映画をたくさんみすぎて、
贅沢になっている可能性がある。
僕は音楽を聞いたりして心を動かすのは好きだが、
だったらコンサートに行けばいいんだよ。
アクションを見るのも大好きだけど、
だったら格闘技をやったり、見たり、
サーカスに行けばいいんだよ。
映画は総合芸術で、人間のドラマを中心に、
全てがぶら下がるべきだ。
佳作ではあるが名作にはなり得なかった。
なお原作は未読。
ひょっとしたら、
原作は曲の部分がより感情豊かに描かれているかもなあ、
などと考えてモヤモヤする。
で?
蜜蜂ってなに?
この映画に限っていえば、
「雨音と遠雷」なんじゃないの?
「黒い馬」とか。
(黒い馬のシーンは美しく撮れていたけど、
全部削除できたね。
逃げ出した駐車場で出会ったのが、
水滴の落ちるピアノでなくて黒い馬であるべきだろう)
「拍手は雨音のように」とかでもいいんじゃないでしょうか。
あるいはタイトルに寄せるなら、
母との連弾シーンで、雨音ではなく、
蜜蜂の羽音をピアノで弾くべきではなかったか?
謎めいたタイトルなんだから、
それの意味がわかった時にテーマに落ちる構造がベストだろう。
役者たち、撮影部照明部はとくによかった。
美術部は微妙、衣装部も微妙。
松坂の家が嘘っぽすぎる、
工房が作り込みすぎている、
月の合成が下手、
水筒が全然新しい、
木の鍵盤が全然ボロボロじゃない
(もっと手の油でベタベタになるはずだ)。
松岡茉優の赤いセーターと青いコートがおしゃれすぎる。
(そのわりに演奏のドレスが芋っぽい)
松坂桃李のスーツがかっこよすぎるし、普段着が微妙。
(役に対して松坂がスタイルが良いのだろう。
衣装でごまかしていくべきだ)
タレントの衣装でしかなく、物語の衣装になっていない。
背の高いイケメンに囲まれたいという、
少女漫画的な欲望が透けて見えたので、
ここをもっと毒抜きするべきだったろう。
三人の男のキャラが似すぎている。
サブプロットの、
「コンポーザーピアニストになりたい」
ところは特によかったが、
それが最後の演奏とどういう関係なのかは分からない。
鹿賀丈史とうまくいったことしか示せていない。
一色まこと「ピアノの森」のほうが好きだな。漫画しか見てないが。
2019年10月26日
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