とかくシナリオはブツブツ切れがち。
すべては一連の流れになるべきなのに、
どうして流れないのか。
それは、人の意識がずっと持たないからだ。
私たちの意識は適当に切り替わる。
気分屋はとくに。
あるいは、寝て起きたら気分が変わる。
なにかの事件でテンションが上がったり下がったりする。
書き手のムラが、作品に直結しがち。
でもそれはある程度はしょうがないと割り切るしかない。
影響を0には出来ないが、
100にダダ漏れする必要もないということ。
何度も書くべきだ、
リライトこそがライティングなのだ、
という経験者の知恵は、
「なんども書くことでムラを消せ」
ということを言っている。
しかしながら、
ストーリーがブツ切れになってしまうことは、
とてもとても良くある。
どうすればいいのだろう?
AのシーンゆえにBのシーンがある、
BのシーンゆえにCのシーンがある、
などと、
「直結」しているときは話が進み、流れる。
とくに主人公の行動があり、リアクションに対してまた行動しているときは、
話が流れることが多い。
しかしそれが途切れ、ストーリーに停滞がもたらされるとき、
ブツ切れの隙間がやってくるわけだ。
ABCDと進んだ話が停滞すると、
次は別のプロットラインを始めて、
接続することはよくある。
PQRをこれで示すと、
ABCD→PQR
と話が接続する。
D→Pの部分に、我々はブツ切れを感じる。
しかし、Pのシーン、遅くともRのシーンに、
ABCDと関連する何かが出てきたらどうだろう?
ABCDゆえにPQRがあると、
我々は感じる。
つまり、接続時に一回ぎくしゃくしたが、
本線は流れているのだと、
感じることができるわけだ。
(あとはリライトでD→Pを滑らかにするとよい)
もしABCDの要素がPQRになければ、
ABCDの流れは終わったように感じてしまい、
「別の流れ」が来たように思う。
だから、バラバラの話に思える。
PQRの中にABCDの要素や続きや影響があると、
ABCDはまだ続いていて、しかもPQRの流れが加わり、
ストーリーは複雑に勢いを増した、
ように思えるわけだ。
Pではよく新しい登場人物が出たり、
別の場所で起こっている事件に視点が移ったり、
全く別次元のなにかを投入することが多い。
それまでの勢いが尽きたので、
燃料を足そうとしているわけだ。
しかし前のが燃え尽きて、次の燃料がそれを継ぐのではなく、
前のがいい感じで安定した時に、
次の燃料と混ざり、
さらに炎が大きくなるようにすればよいだけだ。
つまりPの投入タイミングはCのあとかも知れない。
そうすればDを受けて、C前提のPが、QRと展開して、
ABCDのなにかの要素を続けられる可能性がある。
もちろん、DPの順番だとしても、
似たようなことは可能で、必ずしもPを上げる必要はない。
流れは確実に数シーンで尽きる。
それを新展開させるときは、
新しい要素を新しい燃料にして、
燃料を混ぜながら燃やしていくべきだ。
前のものが燃え尽きてからしばらくして次のを投入するから、
ブツ切れ感が強くなるのだ。
これはシナリオ時だけでなく、
編集時にも使えるテクニックだ。
Pをどこかで先行させるようにインサートすれば、
QRで流れているように見せかけることもできる。
しかしそれは見せかけなので、
QRにABCDの要素を接続できてないと、
「別の流れになり、前のは自然消滅」にしか感じなく、
「あれはどうなったんだ、を解決しない話」となり、
観客の不信感は高まるだろう。
一連で淀みなく流れる様を、
グルーヴなどというときもある。
ストーリーのグルーヴは、
リズムに上手に乗っているとき。
つまり、ストーリーのリズムと観客のリズムが溶け合い、
セッション的になったときだ。
観客が予想して、それが当たると、
観客はさらに次を予想するようになる。
それがリズムを刻み始めたとき、
グルーヴが生まれているといえる。
それが途切れると、ブツ切れ感を感じると思われる。
新しい流れをつくるときは、
前の流れを踏まえた上で、
上手に勢いを殺さずに、
しかも融合していくべき。
流れを止めない流れとは、そういうことだ。
しかし流れの勢いが早すぎてもついてこれない。
適度に間をおくと、観客は落ち着き、
リズムにまた乗ってくる。
架空の観客とのアイコンタクトを、忘れないようにしよう。
2019年10月26日
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