物語が劇的であればあるほど、
命を賭けたことをしなくてはならない。
リスクのない行為は冒険ではなく、
映画とは劇的な冒険のことだからだ。
主人公に関しては、さすがにちゃんと考えるだろう。
しかしそれだけでは足りない。
主人公には味方がいるだろう。
共に何かをしてくれるレベルの近い人もいれば、
ちょっとだけ出来ることを協力してくれる、
通りすがりの人もいるだろう。
敵方に関しても同様だ。
敵対する側に、主人公を邪魔し、排除する人たちがいる。
これらは、命を賭けてやっていることに気付こう。
命を賭けてやっていないならば、
ぬるい物語だということになる。
物理的命だけとは限らない。
社会的生命という命を賭けている場合もある。
(これが失敗したら、自分は社会的に抹殺されるだろう、など)
で、命を賭けているのは主人公だけではない。
その見方や敵も、命を賭けていることに気付こう。
客観だ。
その彼らの命を賭けている理由を、
きちんと考えているだろうか、
というのが本題だ。
考えていないとしたら、
あるいは適当な理由で行動するのだとしたら。
主人公は必死かもしれないが、
他の人物は適当に行動するかもしれない。
それは全体がぬるくなる。
あとに引き返せるものほど、
ピリピリしないものはない。
物語とは、もっと迫真であるべきだ。
ということは、みんな必死なほうがおもしろくなる。
どんなキャラクターも、
自分の行動に命がかかっていることを自覚していて、
そしてそれに対して自己責任を負っている。
それはなぜか。
それをあなたが作らないといけない、
ということなのだ。
どこか途中で確認してもいいし、
初登場時にそれがセットアップされても良い。
最後に分るタイプでもいい。
彼または彼女が、
命を賭けてまでこれに挑む、
その強烈な動機や覚悟を、
設定しておかなければならない。
それは複数のサブプロットを生む。
彼らの話がどう決着がつくかも含むからだ。
コンクールもの、オーディションもの、トーナメントものは、
そうした緊張感のまま命を賭けた戦いを描ける、
優れたパターンである。
それぞれに命を賭けるだけの理由があり、
それぞれの悲喜こもごもが一瞬で決まる。
彼らはその結果に責任を負い、人生を進めなければならない。
これらはそれらを前面に出して進めるからハイライトが当たりやすいが、
普通のストーリーでも同じということである。
どんなストーリーでも、
命を賭けるべきだ。
それは大袈裟にすればするほど、
話のスケールが大きくなり、
緊張感が高まり、
即ち面白くなるからである。
命を賭ける人は、主人公だけではない。
敵役、主人公の味方、敵の味方、
それぞれに命を賭ける理由があるはずだ。
つまり、あなたはもっともに思えるそうした理由を、
複数個考え出す必要がある。
それがぬるい場合、リアリティがない場合、
話はぬるくなるだろう。
どれもヒリヒリするようなものができたとき、
話は緊張感を保ったまま、
進むことが出来る。
ちなみに、
全登場人物に、聞いてみたまえ。
「きみは、何故命を賭けて〇〇するのか?」
とね。
返ってきた答えを一覧表にしてみたまえ。
それぞれがどれも、
個性ある答えでばらついていて、
迫真で、感情移入できるとき、
ストーリーは迫真になるだろう。
(もちろん、
主人公のものがもっともすぐれたそれであることが必要だ)
2019年10月28日
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