後輩と晩飯を食いに行った時のこと。
「風邪気味なのでうどんが食べたい」とのたまうので、
うどん砂漠の国東京でも、まだましなうどん屋へ行くことに。
で、そいつが店で頼んだのは「そば」。
お前うどん食いたい言うたやないか。
これと同じことが、仕事ではしょっちゅう起こるように思う。
広告の仕事において、
「こう言う商品をこういう風に売りたい」
という依頼があり、
我々はその方針で脳みそを使い、
CMを作って行く。
この最初の情報を、
オリエン(オリエンテーション)という。
これは数学の証明でいえば前提条件にあたり、
我々はこの前提条件のもとでパズルを解く。
そのパズルには一ヶ月の脳みそや数千万の価格や、
100人からの人足が動くわけだ。
ところが。
途中途中で報告すればするほど、
この前提条件が変わって行く。
オリエンはそうだったっけ、
ということがとても良くある。
最初のオリエンがどこかへ消えて、
新しいオリエンになっていることが、
稀に良く、
いやほとんど100%起こる。
エンジニアの仕事でもよく聞く。
客のいう仕様は毎日変わると。
これはおかしなことだ。
数学の証明を幾何学でやっていたら、
急に微分方程式になったようなものだ。
数ページの証明はもうすぐ完成だったのに、
破り捨てなければならない。
誰もオリエンできない。
そばを食べるくせに、
「うどん食べたい」とのたまう。
最初から「そばが欲しい」と言えない。
そして、
「うどん食べたい」の責任を取らない。
僕は厳しく責めたいし、
怒りの表明をする。
そうすると仕事がなくなる。
とても不思議だ。
これをニコニコしてしょうがないですねーと言う人は、
心を壊して去って行く。
しょうがないですねーという妥協の産物と、
怒られたことのない幼児たちが残ったまま、
業界は緊張感を失い、愚作と愚策に溢れて行く。
うどん屋をリサーチしてそこへいく手間ならば、
まあタダみたいなもんだからどうでもいいけれど、
プロが一ヶ月動いて数千万かかっても同じなのが、
いつも不思議に思うのだ。
もっとも、監督の頭の中身は誰もわからないのかも知れない。
これだけ脚本論を説いたって、
誰も脚本のことを完璧に理解したり、
それを実践している人が現れないことが、
それを皮肉にも示している。
なぜそばが食べたいのに、
うどん屋へ行きたいというのか?
僕は、「言葉が不自由だから」だと考えている。
阿呆な伝令が言葉だけ伝えるから、
その言葉が金科玉条になる。
言ったままの言葉ではなく、
その目的や背景こそが必要な情報だ。
言葉が不自由な人の言葉など信用に足らない。
たどり着きたい場所だけを共有すればいい。
船頭に伝令でそれを伝えるのは間違っている。
思ったことは直接船頭に言うべきだし、
船頭にはみんなで一斉に言い、
その場で方向性を確定するべきだ。
船を漕いでいるのは一人なのだ。
誰もそばを食べたいと言えない。
「風邪気味なので、あったかくてスッと食べられるもの」
というような注文をするべきだ。
そしたら、「うどん、そば、にゅうめん、ラーメン、薬膳中華、湯豆腐」
などとこちらからメニューを出せるぞ。
うどん屋に行ったからそばになったが、
そうでない豊かな選択肢は、
こちらの方が知ってるのだ。
初手でここを食い違うと、
以降数ヶ月はボタンを掛け違う。
最近あった仕事から。○○は伏せる。
初手
「○○のイメージを全く変えたい」
「○○に興味もない人が興味を持つように」
2回目
「スポーツでスタイリッシュな」
3回目
「顧客のイメージは、
武蔵小杉に住むような、共働き夫婦で年収1500万」
「アウトドアが好きな人がスライドしてくるような感じ」
4回目
「○○をする人に反発されたくない」
「本当は西田敏行だが、カッコいい西田敏行だとしたら」
5回目
「グローバルな」
クイズだとしたらそうとう難問だね。
正解の像がまったくわからない。
僕は、クライアントに明確なイメージなんてないと考える。
「あなたたちが想像する最高のゴールを聞かせてください」
と今度から聞くことにする。
で。
恐らく正解だと思われるのが、
その会社のホームページにあった。
その会社は各世界支部を持っていて、
シンガポールやカナダやオーストラリアにあって、
そこの提携が、
ダイナミックな自然をテーマにしたカッコいいフィルムを沢山作っていた。
つまり、
「本社である日本発信が、
彼らに比肩するようなもの」
が、本当に食べたいものだったと、
今は解釈している。
そんなダイナミックなものは日本にないにも関わらずだ。
絵に描いた餅はないことから、
話し合いを始めれば、
最短距離を走れた。
この迂回に、数千万と数ヶ月の価値があることを彼らは知らない。
僕は明細を書いて請求するべきだと思うよ。
そしたら仕事がなくなるけどな。
映画プロジェクトでも、
オリンピックでも、
似たようなことが起こっているのだろう。
「原作の人気をそのまま実写化して、
さらにパワーアップした魅力を!」
と、「ガッチャマン」を作るときには言ったはずだ。
ちゃんとそば食べたいと言える人は、
どこにいるのだろうか。
2019年10月29日
この記事へのコメント
コメントを書く