2019年10月29日

漫画的現実とリアリティ

時々漫画みたいな信じられないことが起こるけど、
それはリアルで起こるなら、
物理的社会的科学的因果の結果起こる。
我々の目指すべきものはこれ。


物理的因果のないものが、漫画的現実。
ウォーズマン理論とかね。

(ウォーズマンのベアクローを両手に装着した状態で、
「100万パワー+100万パワーで200万パワー!!」
「いつもの2倍のジャンプがくわわって200万×2の400万パワーっ!!」
「そして、いつもの3倍の回転をくわえれば400万×3の……」
「バッファローマン、おまえをうわまわる1200万パワーだ――っ!!」
と、100が1200になること)


70年代80年代の漫画は、
漫画的現実に溢れていて、
ものすごくパワーがあり面白かった。

90年代にリアリティを持ち込んで、
パワーがダウンしたと思うのは僕だけだろうか。
ウォーズマン理論(笑)と思いながら、
やっぱり漫画的現実は面白いんだよな。

それは、現実に夢がないからだと思う。
物理的因果や社会的因果や科学的因果は、
冷徹で乾燥していて夢がないのだ。
夢が面白いということは、現実が面白くないということの、
逆に過ぎないのだ。


リアリティだけでは夢がない。
しかし漫画的現実を実写でやれば無理がある。

だから、「嘘はひとつだけ」というルールが、
実写映画にはあるのだ。


世界戦のチャンスが、名前だけで回ってきた(ロッキー)。
宇宙人が少年とはじめて意思疎通した(ET)。
恐竜を蘇らせることができた(ジュラシックパーク)。

これで見ればわかるとおり、
嘘は、最初の事件(インサイトインシデント)に関わる。
「こんなことがあってね」
のツカミの方にある。

つまり映画とは、
ガチガチに固まった現実の因果を、
たったひとつの嘘でほぐそうとすることを言うのだ。


下手な映画は、嘘ばかりになる。
「天気の子」は、
「晴れ女は天空世界のいけにえになる」
が世界を規定する嘘だったが、
「東京がベニスみたいな街になる」
という二つ目の嘘(よりビッグビジュアルの嘘)を
持ってきたところが不味い。
最初に嘘をついたら、
それ以降は、
物理的、社会的、科学的因果で現実的に描くべきだ。
東京は洪水で全員避難だろう。
全ては腐敗し、福島みたいに立ち入り禁止になるのが順当だ。
「皆が住める程度の雨世界になる」という嘘ならば良かったが、
それと晴れ女の生贄の嘘が齟齬を来す。
どちらかか、
統合できる大きな嘘を、最初につくべきだった。

風の谷のナウシカで比較すると、
「世界は核戦争で滅び、
人間の立ち入れない腐海が広がった。
そこに住むのは(放射能変異と思われる)巨大な虫」
までが最初に提示されたひとつの嘘である。

そのあとは、ガンシップだろうが国家間の戦争だろうが、
「そういう文明になった」のは、
社会的科学的因果として自然にリアリティがある。
眠った巨神兵が使えるかも、などは火の七日間を最初に振っているから、
無理がない。
(最初に骨も出てくるし)

一方、原作後半の粘菌のアイデアは後付けくさい。
森だからギリセーフだけど。
映画版ではこれを切り捨てたのは英断だ。
「ひとつの嘘」で全てが賄えている。


ウォーズマン理論は、一気に何度も嘘をついて、
その嘘世界に巻き込む漫画的現実の手法である。
漫画は嘘に嘘を重ねて、違う世界へ連れて行く。
ギャラクティカマグナムの嘘の直後には、
ギャラクティカファントムがやってくる。
「なにい?!」「バカなー!」
と、嘘を嘘で塗り替えるのが漫画的な面白さだ。

大人になり、現実を知れば知るほど、
「そんなことあるわけないだろ」と、冷静になってしまい、
だから私たちはいつか少年漫画からは卒業する。

嘘を嘘で塗り固めるのは、営業スマイルだけで十分になってしまうからである。

嘘はひとつでいい。
嘘の上塗りは実はたくさんだ。
ひとつ嘘を信じたら、
あとは全部現実の法則ですべてが一変してしまう、
そんなたったひとつの嘘を、
ぼくは映画的ファンタジーと呼ぶ。

キリスト教は実はこれに近い。
「神はいて、啓示を与える」を最初に言い、
「それを受けたのがイエスである」から、
すべてが始まっている。
途中で設定の追加はない。
(天使とか悪魔とかは後世の後付けだよな)


この嘘をどう上手に作り上げるか。
そしてそれをどう最初にうまく言うか。
さらに、それをどう現実の因果で料理していくか。

漫画的現実でもない、
リアルでもない、
リアリティのある映画的ファンタジーは、
こうして出来上がる。
posted by おおおかとしひこ at 11:36| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大岡様。
いつもうるさくコメントして申し訳ありません。またいつも丁寧にお返しいただき、ありがとうございます。

>だから、「嘘はひとつだけ」というルールが、実写映画にはあるのだ。

これはよくいわれることですし、私もそうだなと思うのですが、この法則にスパイダーマンが当てはまらないのはなんでだろうな、と疑問でした。

・放射能の影響を受けた蜘蛛にかまれて、主人公がスパイ―ダー能力を持つ ←バカバカしいけど、基本の嘘なので許せる

・すごい科学技術のスパイダースーツを、なぜか高校生の主人公が開発できる ←アベンジャー版は一応違いますけど

・色んなヴィランが次々でてくる ← 放射能とかの影響を受けた敵から科学技術を駆使した敵まで、その発生理由に統一性、脈略がない。

嘘が三つも四つもあると思うのです。

これは、つまり

>漫画は嘘に嘘を重ねて、違う世界へ連れて行く。

という原作が漫画によるものだからなのでしょうか?

私は上記の理由で、たまにスパイダーマンについていけない時があるのですが、つまり実写版スパイダーマンは映画じゃなくて、あくまでも漫画なんでしょうか?
お客さんはよく受けれいて、大ヒットしているなあ、とちょっと不思議な映画ではあります。
Posted by こん at 2019年10月29日 13:26
こんさんコメントありがとうございます。

推察の通りと考えます。
サム・ライミ版「スパイダーマン」が公開された時、
批評家の攻撃は、
「蜘蛛に噛まれたスーパーパワーと、
科学技術のグリーンゴブリン、二つの嘘がある」
というところに主に集中しました。

ただ、アメコミそのものが、
「次々に不可思議な力でスーパーパワーを得た人たちが、
戦う」
というひとつの大嘘の枠組みを持っているため、
その大前提を了解しているかいないかで、
嘘の個数の主観が変わるでしょう。

僕や観客はもう慣れたのでしょう。
「スパイダーマン: ホームカミング」は、
バルチャーとスパイダーマンの二つの嘘に、
そもそもアベンジャーズの大嘘があるため、
もうごちゃごちゃです。
しかし「次々と不可思議なスーパーパワーを得る世界」
だと思えばひとつに統合されます。

悪に転ぶか正義に転ぶかは、出自や事情の紙一重で決まるので、
逆にそこを楽しむジャンルと言えます。
たとえば「スパイダーマン: ファーフロムホーム」のヴィランは、
俺たちだったかもしれない。
Posted by おおおかとしひこ at 2019年10月29日 23:35
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