2019年10月30日

完結させられない人は、主語が大きい

話し下手の特徴の一つは、
主語が大きいこと。


私はこう思う、ではなく、
皆がこう言っている、
世論はこうだ、
これが伝統的で正しい、
これが理論的に正しい、
世界の標準がこうである、
日本人は皆こうすべき、
資本主義はこうあるべき。

もちろん理論立てて最後まできっちり話せる人は別。
話し下手な人は、すぐにこれに飛びつくという話。

つまり、権威の傘を着たがる。

なぜだろう。

自信がないからではないか。


自分の意見だとしたら、
突っ込まれた時に反論できないからではないか。
自分が間違っていると思うからではないか。
自分が大したことないと思って気後れするからではないか。

だから、ちっぽけな自分ではなく、
巨人の肩に乗りたがるのだ。

よれば大樹なわけだ。虎の威なのだ。
そこに自分はいない。
みんながそう言っているから、と自分を消している。


ストーリーを完結できない人は、
これと同じ病に陥っているかも知れない。

とてつもない名作を書こうとする。
壮大なスケールを描こうとする。
これまでの科学観、歴史観を根底から覆す何かを書こうとする。
とてつもなく大きな問題を、一気に解決しようとする。
国家間の問題に切り込み、独自の国家観や政治体制を構築しようとする。
新しい宇宙の原理からやろうとする。

だから書けないのではないだろうか?

勿論、これらを朝飯前にできる人はバンバンやりなさい。
新しい壮大なものを綿密に構築して、
世界を変えて行きなさい。

ところが、
話し下手な人と同様に、
完結できない人は、そんな巨人の肩に乗るふりをするんじゃないかな。

自分にできないことをやろうとしないことだ。
しかし自分を大きく見せたいから、
そういった手に余ることに手を出してしまう。
自信がないから。

身の丈に合うことをやれ、
と言っても効かない。
自分に自信がなくて、
だから大きく見せたいから、
大きい方を身の丈だと勘違いしてしまっている。


完結できない人は、
まず自分のそのような深層心理に気づくべきではないのか。
完結できないのだから、
やはりあなたはちっぽけなのだ。
大した名作を書くほどの才能も実力もない。
それはまず最初に諦めよう。

ただし、実力は伸ばすことができる。
小さなストーリーを完結させることによってだ。
実力の伸びは、完結の回数に比例すると言って良い。

どこからどこまで伸びるかは分からない。
一回の完結で伸びる分量も分からない。
しかし「どんなものが来ても面白くする」
という真の実力は、完結の回数の経験値に比例するとぼくは思う。
(その上で、才能があるかだ。
実力は全国大会出場クラス、
才能は優勝クラスだと思うと分かりやすい)


完結できない人は、
どこかで完結するのが怖いと思う。
こんな小さなストーリーかよと思われることがだ。
だからなるべく壮大に、主語を大きくして、
自分を大きく見せようとしてしまうのだ。
ちんこを大きく見せたいことと、
根は同じである。

まず1センチのちんこで完結しなさい。
ペラ一枚のショートストーリーを書きなさい。
「おわり」まで書こう。
それ、面白い?
面白い話が出るまで、何本もショートストーリーを書くのだ。
もし何本も出てこないなら、
あなたは才能がないから諦めなさい。
まだ1センチのちんこでいいから、
色んなストーリーのバリエーションを考えなさい。

100本プロット練習法については過去に書いた。

100本のプロットが出来るということは、
つまり100のシーンを書けるということだ。

映画シナリオは大体100シーンないくらいで、
1シーンは一枚半から数枚だから、
1センチちんこが100も集まれば、
なんとかなるかも知れないのさ。


ショートストーリーを書くコツは、
個人の小さい話に限定して、
登場人物も3人程度以内にまとめることだ。
必然、世界の半径も小さくなる。

主語を大きくする必要がないし、
巨人の肩に乗る必要もない。

赤裸々な、ごく小さい、大したことのない人間の、
少しだけ何かになった話になるだろう。

それが落ちまで書ければ、
ひとつ課題はクリアである。

次の1センチのちんこを増やしてもいいし、
2センチに伸ばしてもいい。


話のスケールをコントロールすること。

実は、これが実力にとても関係する。

プロは与えられた尺でいい仕事をする。
ストライクゾーンが与えられたら、
外さずにストライクを入れに行く。
それが実力。

巨人の力を借りてないで、
ストライクをたくさんとった経験を積むこと。
そのうち、自分が巨人になりつつあることに気づく。

正しく自分を見ることはなかなかに難しい。
時々過去の何かを見返して、
そこよりは今が面白いとか、
他の何かを見て、ここよりは面白いとか、
ここは面白くないとか、
そういう距離感を常に掴んでおかないと、
自分が何センチのちんこか分からなくなる。


で。

ストーリーというのを突き詰めていくと、
壮大なスケールの壮大なストーリーとは、
個人間のごく個人の話で、
すべてが象徴できることに、
上級者になれば気づく。

そうか、壮大なものはいらないのだ、
鍵は個人や人間関係だ、
広さではなく深さだ、
と気づく。
小さなストーリーを完結させ続けた経験は、
この最後の最後で生きてくる。
posted by おおおかとしひこ at 10:54| Comment(4) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大岡様 お世話になります。上司がまさに、権威を借りて吠える人です。社長が〜が口癖です。おまけに、上が白いものを黒と言ったら黒なんだよ!と恥ずかしげもなく言います。大岡様の分析が的確すぎて面白かったので、書き込ませていただきました。
Posted by すーざん at 2019年10月31日 01:25
すーざんさんコメントありがとうございます。

そういう人たちが日本を硬直化して、だめにしたんだと思います。
その人の上の世代は、
「おれは黒だと思う」と自分の意見を曲げずに、
黒を実現してきた世代ですからね。

スルーパスするのが仕事だとしたら、
あなたはいなくていいよね、
というのがこれからの会社の在り方だと考えます。
Posted by おおおかとしひこ at 2019年10月31日 09:10
大岡様 返信ありがとうございました。どうして、気概のある人がいなくなってしまったのでしょうか。上司の言い草には、二重の恥ずかしい意味があります。

@オレが完全に間違っていても、黙って言う事に従え。それが社会というものだ。

A上から部署に不利益な事を言われても、オレは戦わないし、部下を守らない。それが社会というものだ。

このどうしようもない小心者が定年でいなくなるまで、あと十年はあります。部署が腐りきるには十分すぎる時間ですね。
Posted by すーざん at 2019年11月01日 02:35
すーざんさんコメントありがとうございます。

武術でも国家でも、
「中興の祖」というのが出た時には、長生きするものです。
彼にはその素質がないだけでしょう。
「暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう」と、
呪文を唱えるしかないですね。
自分で会社を起こすために辞める後輩とかを見ると、凄いなあと尊敬します。僕は会社組織そのものには興味がないので。
Posted by おおおかとしひこ at 2019年11月01日 06:32
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