話し下手の特徴の一つは、
主語が大きいこと。
私はこう思う、ではなく、
皆がこう言っている、
世論はこうだ、
これが伝統的で正しい、
これが理論的に正しい、
世界の標準がこうである、
日本人は皆こうすべき、
資本主義はこうあるべき。
もちろん理論立てて最後まできっちり話せる人は別。
話し下手な人は、すぐにこれに飛びつくという話。
つまり、権威の傘を着たがる。
なぜだろう。
自信がないからではないか。
自分の意見だとしたら、
突っ込まれた時に反論できないからではないか。
自分が間違っていると思うからではないか。
自分が大したことないと思って気後れするからではないか。
だから、ちっぽけな自分ではなく、
巨人の肩に乗りたがるのだ。
よれば大樹なわけだ。虎の威なのだ。
そこに自分はいない。
みんながそう言っているから、と自分を消している。
ストーリーを完結できない人は、
これと同じ病に陥っているかも知れない。
とてつもない名作を書こうとする。
壮大なスケールを描こうとする。
これまでの科学観、歴史観を根底から覆す何かを書こうとする。
とてつもなく大きな問題を、一気に解決しようとする。
国家間の問題に切り込み、独自の国家観や政治体制を構築しようとする。
新しい宇宙の原理からやろうとする。
だから書けないのではないだろうか?
勿論、これらを朝飯前にできる人はバンバンやりなさい。
新しい壮大なものを綿密に構築して、
世界を変えて行きなさい。
ところが、
話し下手な人と同様に、
完結できない人は、そんな巨人の肩に乗るふりをするんじゃないかな。
自分にできないことをやろうとしないことだ。
しかし自分を大きく見せたいから、
そういった手に余ることに手を出してしまう。
自信がないから。
身の丈に合うことをやれ、
と言っても効かない。
自分に自信がなくて、
だから大きく見せたいから、
大きい方を身の丈だと勘違いしてしまっている。
完結できない人は、
まず自分のそのような深層心理に気づくべきではないのか。
完結できないのだから、
やはりあなたはちっぽけなのだ。
大した名作を書くほどの才能も実力もない。
それはまず最初に諦めよう。
ただし、実力は伸ばすことができる。
小さなストーリーを完結させることによってだ。
実力の伸びは、完結の回数に比例すると言って良い。
どこからどこまで伸びるかは分からない。
一回の完結で伸びる分量も分からない。
しかし「どんなものが来ても面白くする」
という真の実力は、完結の回数の経験値に比例するとぼくは思う。
(その上で、才能があるかだ。
実力は全国大会出場クラス、
才能は優勝クラスだと思うと分かりやすい)
完結できない人は、
どこかで完結するのが怖いと思う。
こんな小さなストーリーかよと思われることがだ。
だからなるべく壮大に、主語を大きくして、
自分を大きく見せようとしてしまうのだ。
ちんこを大きく見せたいことと、
根は同じである。
まず1センチのちんこで完結しなさい。
ペラ一枚のショートストーリーを書きなさい。
「おわり」まで書こう。
それ、面白い?
面白い話が出るまで、何本もショートストーリーを書くのだ。
もし何本も出てこないなら、
あなたは才能がないから諦めなさい。
まだ1センチのちんこでいいから、
色んなストーリーのバリエーションを考えなさい。
100本プロット練習法については過去に書いた。
100本のプロットが出来るということは、
つまり100のシーンを書けるということだ。
映画シナリオは大体100シーンないくらいで、
1シーンは一枚半から数枚だから、
1センチちんこが100も集まれば、
なんとかなるかも知れないのさ。
ショートストーリーを書くコツは、
個人の小さい話に限定して、
登場人物も3人程度以内にまとめることだ。
必然、世界の半径も小さくなる。
主語を大きくする必要がないし、
巨人の肩に乗る必要もない。
赤裸々な、ごく小さい、大したことのない人間の、
少しだけ何かになった話になるだろう。
それが落ちまで書ければ、
ひとつ課題はクリアである。
次の1センチのちんこを増やしてもいいし、
2センチに伸ばしてもいい。
話のスケールをコントロールすること。
実は、これが実力にとても関係する。
プロは与えられた尺でいい仕事をする。
ストライクゾーンが与えられたら、
外さずにストライクを入れに行く。
それが実力。
巨人の力を借りてないで、
ストライクをたくさんとった経験を積むこと。
そのうち、自分が巨人になりつつあることに気づく。
正しく自分を見ることはなかなかに難しい。
時々過去の何かを見返して、
そこよりは今が面白いとか、
他の何かを見て、ここよりは面白いとか、
ここは面白くないとか、
そういう距離感を常に掴んでおかないと、
自分が何センチのちんこか分からなくなる。
で。
ストーリーというのを突き詰めていくと、
壮大なスケールの壮大なストーリーとは、
個人間のごく個人の話で、
すべてが象徴できることに、
上級者になれば気づく。
そうか、壮大なものはいらないのだ、
鍵は個人や人間関係だ、
広さではなく深さだ、
と気づく。
小さなストーリーを完結させ続けた経験は、
この最後の最後で生きてくる。
そういう人たちが日本を硬直化して、だめにしたんだと思います。
その人の上の世代は、
「おれは黒だと思う」と自分の意見を曲げずに、
黒を実現してきた世代ですからね。
スルーパスするのが仕事だとしたら、
あなたはいなくていいよね、
というのがこれからの会社の在り方だと考えます。
@オレが完全に間違っていても、黙って言う事に従え。それが社会というものだ。
A上から部署に不利益な事を言われても、オレは戦わないし、部下を守らない。それが社会というものだ。
このどうしようもない小心者が定年でいなくなるまで、あと十年はあります。部署が腐りきるには十分すぎる時間ですね。
武術でも国家でも、
「中興の祖」というのが出た時には、長生きするものです。
彼にはその素質がないだけでしょう。
「暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう」と、
呪文を唱えるしかないですね。
自分で会社を起こすために辞める後輩とかを見ると、凄いなあと尊敬します。僕は会社組織そのものには興味がないので。