あなたは運命を信じる人だろうか。
信じない人は、ストーリーも信じないかも知れない。
運命などないという立場を取ると、
個人の人生はまるで単なる偶然で、
世界と作用して反作用を受けて、
必然と偶然によって変化をし続け、
そして死ぬだけのものに思える。
生まれたのも偶然、
そうなったのも偶然と自由意志の結果、
死ぬのも偶然。
人生に意味など特になく、
宇宙は無秩序へと熱的死へ向かうのみ。
宇宙が死んでも誰も気づかず、
どこかで生まれた虫が死んでも気づかないのと同じ。
人生は誰にも知られず、
偶然光って消えたただの光。
そのような、いわば冷めた視点にいるかも知れない。
いや、そんなことはない、
と考えるのが運命わ信じる人の立場だろう。
生まれたことには意味がある、
人生には意味がある、
死には意味がある。
宇宙はある種の秩序に基づいて動いていて、
誰かの大いなる意志のようなものがあり、
ただ消えるだけではなく、
まだ知られていないが、
きっと何か意味があるものだと思いたい。
二つの極論を出したが、
大抵の人はその間のどこかの立場にいるかも知れない。
ストーリーとは、
この運命論に立場が近いと思うわけだ。
個人の人生には意味があるし、
なにかを通した変化には意味があるし、
良い方向への変化をするべきだし、
俯瞰で見たときに、
この世界に意味があると思いたいし、
世界は良くなっていく方がいい。
そう考える人は、
ストーリーをそのように秩序づける。
あるいは、
そのような大きな流れを作ることが、
ストーリーを作ることだ。
個人の人生は無意味ではなく、何かしらの意味がある。
個人の死は無意味ではなく、何かしらの意味がある。
個人の必死や活躍には、何かしらの意味がある。
個人の辛さや逆境には、何かしらの意味がある。
そのように、ストーリーは作られる。
もし運命を信じない人がストーリーを作ったら、
個人の人生に意味がなく、死にも意味がなく、
ただ何かをして何かを終える、
何かを書いておしまいだ。
それは、ただの落書きやから騒ぎで、
何の意味もないと思う。
何の意味もないのが人生なら、そういうストーリーを書くかも知れない。
僕は意味がないとは思えない。
人間の脳は、意味を見出すように出来ている。
たとえ宇宙に意味がなくとも、
人間は宇宙に意味を見出したい生き物である。
宗教と物語だけが、
それに意味を与える人類の発明である。
うまく出来てるやつが、広く広まる。
2019年10月30日
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