2019年10月31日

誰でも分かる話は、シンプルだけど新しい

物語でなければ、
「誰でも分かる話」は、シンプルであるべきだ。
相対性理論が誰にでも分からないのは、
話がシンプルでなく、非常にややこしいからである。


昔から繰り返し伝えられてきた、
息の長い話は、大抵シンプルだ。
語り直されるたびに削ぎ落とされている可能性もあるが、
とにかくシンプルになっている。

構成はわかりやすく、
主人公にわかりやすく感情移入できて、
テーマへの落ち方も明快だ。

問題は、
私たちのつくるものは、
「新しいパターンのそれ」
でなければならないことだ。

シンプルにしようとすればするほど、
見たことのあるパターンに陥ってしまう。

組み合わせが単純化してくるからだ。
デザインのシンプルなキャラがどうしても何かに似たり、
単純なメロディがどこかは何かに似てしまうとか、
そういうことに近い。

だから、アレとはここが微妙に違うのだ、
などと差異を強調して、
アイデンティティ(それがそれである理由)を、
主張したりする。

でもみんなが本当に欲しいのは、
コロンブスの卵なんだよね。


それをつくるためには、
「あらゆるパターンを知り尽くしてから、
新しいものに挑む」ほうがいいのか、
「何も知らないからこそ新しいのが作れる。
古いのを見てしまうと影響される」
と考えるべきなのか。

若いうちは後者を考えがちだ。
知らない人こその天才ぶりがあることもある。

でもそれが出来るのは、
ビギナーズラックだけということは、知っておくべきだ。

「二作目のジンクス」が示す通り、
一発偶然でヒットしても、
二回は当たらない。
それではずっと名作良作佳作を作り続けていく人生は歩めない。

ビギナーズラックを求めるのは、
「あらゆるパターンの研究」のしんどさから逃げているからだ。
「その先ひとつも思い付かなかったらどうしよう」
と、投資を回収できないリスクを恐れるからだ。

しかしどこかで、覚悟は決めなければならない。


創作を始めて何本かの中でビギナーズラックを引いた人だけが、
そのあとあらゆるパターンを勉強するのかも知れない。
あるいは、
ある程度模写してきた人が、
そのうち自分のオリジナルな芸風に磨かれてきて、
それが開花するのかもしれない。

どちらのルートを通ってもよい。


しかし、
あるアイデアを思いついたとき、
シンプルで新しい構造にまで煮詰められるのは、
ひたすら修練を積んできた人だけだと、
僕は思う。

「シンプル化すること」そのものに慣れてないと、
あらゆることをそのようには出来ないからね。

それには、
何を削ぎ落とし、何を残して、
何をうまく繋げるといいか、
という高度なオペレーションと判断が必要で、
それは偶然ではなかなか出来ない。

しかも、
「普通の人はこれは分からないほどハイブロウだな」とか、
「阿呆すぎるな」
などの客観性を持ってないといけない。

客観力と判断力とオペレーションの実力と。

これらがプロレベルで出来るのには、
年単位の修行が必要で、
僕は10年かかると言っている。

かつてCM業界は3年目くらいでデビューさせて、
10年くらいで才能を使い潰していた。
その10年の間に実力を磨いた人だけが、
今も生き残っているような気がする。
今の若者はさらに条件が厳しく、
デビューは5年目だったりして、
しかも酷い案件しかなかったりして、
上も詰まっていて、
才能で抜け出したり、実力を磨く質の仕事がない。

ので、黙々と素振りを続けるしかない。

これは映画でもドラマでも似たような状況で、
伝承が途絶えかかっていることを僕は憂慮している。


シンプルナイズしよう。

それは新しいか?
それはわかるか?
そしてそれは深いか?

たったこの三行に収められることに、
ものすごい苦労がある。

誰もが挑むべき、最も高い山だと思うよ。

「この話はニッチだからわかる人がわかればいいんです」
で生きることも構わないが、
その中でも名作は、
誰でもわかるシンプルな構造を抽出しているものだ。

シンプル化する苦労から逃げるのに、
そういう言い訳をしないことだ。
そういうやつは、大抵小手先で誤魔化している。
それは伝わるんだぜ。
posted by おおおかとしひこ at 10:13| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。