僕が片手アルペジオが好きなのは、
加速ポイントがしょっちゅうあるからかもしれない。
ためしに、1カナを打つ時間を同じにしてみた。
予想どおり、
一番遅いだろうペースに全体が合うことになる。
アルペジオは、この状態からショートカットしている部分なんだな、
ということが自覚的にわかる。
左右交互打鍵が基本ペースになるようだ。
段越えや悪運指は、そのたびにちょっとペースが落ちる感じになる。
でも普段より速度にムラがない感じ。
で、面白いことは、
同じペースで打つと、脳内発声が起こること。
カタカタ同じペースの音が、そういう気分にさせるのだろうか。
(昔のコンピューターの文字が出ている感じ。
同じペースだと、大体一秒3カナくらいで休みなくコツコツ打つ感じなので)
逆に、脳内発声がないいつもの打鍵だと、
同じペースで打つことはない。
ひとつの概念単位でじゃらっと打って、
次の概念単位でじゃらっと打つ感じ。
間に休むのは、概念単位の休みと、悪運指のとき。
不思議なことだ。
親指シフトの「指が喋る」という感覚は、
この「同じペースでカナを打つ」
ということと関係しているのでは、
という仮説を挙げておく。
同時打鍵は、同じペースで打つほうが打ちやすい。
メトロノームに従って正確に打つほうが、
親指との同期がとりやすいと考えられる。
慣れたらそれは破調してもいいんだろうが、
最初にそれをマスターしてしまった人は、
ひよこが最初に見た親のように、
ずっとそれについていっているかもしれない。
親指シフトがこれだけ人を虜にする理由は、
(他に多数合理的な選択肢がある、
ということを知らない、という可能性をなくしたとしても)
この「同じペースでカナを打ち続け、
脳内発声とシンクロしながら打てる」
ことの優位性かもしれない。
(半濁音は別。またモーラと打鍵数は拗音などは合っていないが、
出現率から考えれば例外だと思えるだろう)
飛鳥配列のRayさんは、
発声との一致にこだわっていたが、
それは親指シフトの、「同じペース」
をさらに進化させようとしていたのかもだ。
一端これが気持よくなってしまったら、
なかなか手放せないのだろう。
音楽と同じような感覚だ。
薙刀式がアルペジオを意識し、
変速で打って行くスタイルなのは、
開発者である僕が、
脳内発声をしないことと強く関係してるかもれしれないな、
などと気づいた。
もっとも、等速で打って行くのがいいのか、
変速で打って行くのがいいのか、
どっちが正解かわからない。
少なくとも僕は、手書きだろうがタイピングだろうが、
等速で打てないタイプだということは自覚している。
言葉とは何かと何かの繋がりであり、
それらは等速であるはずがない。
ブロック内はそんなに速くなくても、
繋ぐ部分を、最速で打って繋ぎたい感じがある。
逆に、脳内発声があり、
1モーラを1同時打鍵(以内)で打てる配列を、
等速で打つ人は、
それが本能的リズムになっているかもしれない。
ダンサーとかに近いのかもだ。
書き言葉と話し言葉の違いだろうか。
そういえば、
親指シフターでブロガーな人は、
フランクな話し言葉で書く人が多いのは、
偶然ではあるまい。
僕はどっちかというと、
話し言葉より書き言葉で書いていることが多いと思う。
「思考に沿う」ことが文房具の理想だが、
思考形態と配列が違う人は、
合ってない可能性があるかもだ。
qwertyローマ字があり得ないと僕が思うのは、
指のリズムが、日本語の概念的にも音的にも、
まったく合っていないからだと考える。
上級者の動画を見ても、そこで指が途切れるのか、
ってポイントがまれによくある。
意味的途切れと、物理的途切れが、合ってない時がよくある。
2019年11月05日
この記事へのコメント
コメントを書く