2019年11月05日

【薙刀式】同じペースでカナを打つべきか

僕が片手アルペジオが好きなのは、
加速ポイントがしょっちゅうあるからかもしれない。
ためしに、1カナを打つ時間を同じにしてみた。


予想どおり、
一番遅いだろうペースに全体が合うことになる。
アルペジオは、この状態からショートカットしている部分なんだな、
ということが自覚的にわかる。
左右交互打鍵が基本ペースになるようだ。
段越えや悪運指は、そのたびにちょっとペースが落ちる感じになる。
でも普段より速度にムラがない感じ。

で、面白いことは、
同じペースで打つと、脳内発声が起こること。

カタカタ同じペースの音が、そういう気分にさせるのだろうか。
(昔のコンピューターの文字が出ている感じ。
同じペースだと、大体一秒3カナくらいで休みなくコツコツ打つ感じなので)

逆に、脳内発声がないいつもの打鍵だと、
同じペースで打つことはない。
ひとつの概念単位でじゃらっと打って、
次の概念単位でじゃらっと打つ感じ。
間に休むのは、概念単位の休みと、悪運指のとき。

不思議なことだ。

親指シフトの「指が喋る」という感覚は、
この「同じペースでカナを打つ」
ということと関係しているのでは、
という仮説を挙げておく。

同時打鍵は、同じペースで打つほうが打ちやすい。
メトロノームに従って正確に打つほうが、
親指との同期がとりやすいと考えられる。
慣れたらそれは破調してもいいんだろうが、
最初にそれをマスターしてしまった人は、
ひよこが最初に見た親のように、
ずっとそれについていっているかもしれない。

親指シフトがこれだけ人を虜にする理由は、
(他に多数合理的な選択肢がある、
ということを知らない、という可能性をなくしたとしても)
この「同じペースでカナを打ち続け、
脳内発声とシンクロしながら打てる」
ことの優位性かもしれない。
(半濁音は別。またモーラと打鍵数は拗音などは合っていないが、
出現率から考えれば例外だと思えるだろう)

飛鳥配列のRayさんは、
発声との一致にこだわっていたが、
それは親指シフトの、「同じペース」
をさらに進化させようとしていたのかもだ。
一端これが気持よくなってしまったら、
なかなか手放せないのだろう。
音楽と同じような感覚だ。



薙刀式がアルペジオを意識し、
変速で打って行くスタイルなのは、
開発者である僕が、
脳内発声をしないことと強く関係してるかもれしれないな、
などと気づいた。

もっとも、等速で打って行くのがいいのか、
変速で打って行くのがいいのか、
どっちが正解かわからない。
少なくとも僕は、手書きだろうがタイピングだろうが、
等速で打てないタイプだということは自覚している。

言葉とは何かと何かの繋がりであり、
それらは等速であるはずがない。
ブロック内はそんなに速くなくても、
繋ぐ部分を、最速で打って繋ぎたい感じがある。

逆に、脳内発声があり、
1モーラを1同時打鍵(以内)で打てる配列を、
等速で打つ人は、
それが本能的リズムになっているかもしれない。
ダンサーとかに近いのかもだ。

書き言葉と話し言葉の違いだろうか。
そういえば、
親指シフターでブロガーな人は、
フランクな話し言葉で書く人が多いのは、
偶然ではあるまい。
僕はどっちかというと、
話し言葉より書き言葉で書いていることが多いと思う。

「思考に沿う」ことが文房具の理想だが、
思考形態と配列が違う人は、
合ってない可能性があるかもだ。

qwertyローマ字があり得ないと僕が思うのは、
指のリズムが、日本語の概念的にも音的にも、
まったく合っていないからだと考える。
上級者の動画を見ても、そこで指が途切れるのか、
ってポイントがまれによくある。
意味的途切れと、物理的途切れが、合ってない時がよくある。
posted by おおおかとしひこ at 13:39| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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