どんな沢山登場人物が出てくる物語でも、
原則はこうだと思う。
最初の事件が起きる前、
あるいは起きてしばらく。
最初から登場人物が沢山出てくると、
覚えきれず混乱するから?
それもある。
僕は、
その3人の人間関係(2人かもだが)が、
その物語の基礎になる、
と考えている。
主人公、親友、ヒロイン。(ラブコメに多い)
探偵、依頼人、調査対象。(探偵、ミステリーなど)
主人公、憧れの先輩、親友。(スポーツ物とか)
主人公、幼馴染、新ヒロイン。(三角関係ものとか)
主人公、敵またはライバル、親友。(多くのストーリー)
色んなパターンがあるだろう。
どんなストーリーでもいいのだが、
これらがそのストーリーの人間関係の、
第一印象を握っているということで、
僕はこれらをベースに、
人はそのストーリーを見ると思うのだ。
真のボスや、すげえ味方とか、
アクの強い脇役などは、
あとで出てくる可能性が強い。
しかしそれらは、そのストーリーにおいての、
基礎の人間関係ではなく、
追加要素のように人は認識する。
たとえば北斗の拳なら、
ケンとリンとバットが、その基礎だと思う。
その後どんな濃いキャラが出てきても、
この基礎が揺らぐことはない。
(だから修羅の国編は、それが揺らいで詰まらなくなった。
アインやシャチが、「修羅の国編での基礎人間関係」
になるかと思われたが、そうはならなかったようだ)
この基礎の人間関係は、
そのストーリーのメインコンフリクトや、
メインの問題となるとは限らない。
むしろ、そのストーリーの軸足のようなもので、
そこを支点にして全ての流れを眺めていくことになるものである。
これがないと、
主人公一人が放り出されて、
恐らくは詰まらなくなる。
主人公が本音を打ち明ける相手はいないし、
主人公を無条件で助ける人もいないし、
主人公を逆から見る人もいない。
つまり、基準点がわからなくなる。
基礎の人間関係があると、
それらを基準として、
その後やってくる人間関係を見ていけばいいわけだ。
「幽遊白書」では、
幽助と蛍とコエンマがそういう関係かもだが、
バトルものになってからはそういうことがなくなったね。
長編でよくあるミスだ。
ストーリーがどこかへ行ってしまって、
帰ってこないような感覚は、
おそらくこれが原因だと思う。
短編であるところの映画では尚更で、
そのような無駄遣いをしている余裕などない。
サム・ライミ版のスパイダーマンでは、
サンドマンがラスボスになれば、
基礎の人間関係、すなわち、
ピーターと育ての両親(二人で一人としよう)とMJと、
サンドマンという、
円環を閉じるようなクライマックスになったはずなのに。
(それを察してか、MJ関係のエピソード(宇宙飛行士との婚約)
なんかを入れてきたが、とっ散らかっただけだった)
基礎の人間関係のトライアングルが、
ストーリーのベースになる。
そのベースを上手に使うことだ。
そのためには、最初に3人程度までを、
しばらく、きちんと描いておくと良い。
その後、ストーリーが始まって、
その時のことが使われて伏線になることもある。
そのベースの人間関係にクライマックスまで戻ってこないこともある。
そのベースの人間関係の、
まだ伏線として使ってなかった何かを、
ラストで使うことで、
大抵は日常世界への帰還を意味し、
円環を上手に閉じることが出来るだろう。
そのためには、
ベースをきちんと最初に描いておくべきで、
余計な登場人物や情報や設定を書いている場合ではないと、
僕は思う。
人の記憶力は高が知れている。
3人くらいで丁度いい。
2019年11月05日
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