それは、結論から逃げることになる。
最後までケツ持ちをするべきだ。
初心者の書くストーリーのありがちな落ちが、
主人公死亡エンドだ。
(行方不明でも同様)
それは、自分で決着がつけられなかったことの、
敗北宣言だと僕は思う。
「マトリックス」三部作のエンドはひどかった。
新しい救世主に目覚めたネオの全能感は、
死亡エンドによって、
「この世界の存続の意味」が有耶無耶になってしまった。
「でもわたし、すぐ帰ってくる気がするの」
なんてラストで締められてもなあ。
ネオがこの世界を救い、
マシンを征服し、
人類を解放するエンドではなかったのが、
大変モヤモヤする。
そしてそのようなモヤモヤを残すべきではない、
ということは、以前も議論したかと思う。
死亡エンドは、責任から逃げていると思う。
「主人公の行動には意味があったのだ」と、
結論づける責任からである。
それから逃げるために、
「なんだか尊いことをやったのだ」
みたいに、死者に鞭打てないように反論を封じるやり方は、
気にくわないし、ずるいと僕は思う。
無論、「進んで死ぬしかない」
という結論に達した上で、
自ら死んでいくことはアリかもしれないが、
生きて世界を救うほうが、
意味としては強くなると思う。
その責任を放棄して、死に酔っている、
と非難して過言ではないと思う。
「氷壁」を読み終えた。
長かったわりには内容が薄くてびっくりした。
半分くらいの内容を、
丁寧に水増ししている印象を受けた。
例のナイロンザイル事件をモデルにした小説だが、
水増しして引っ張ることで、
本来の事件の発展を待とうとしたのだろうか、
と訝るほどに展開が遅かった。
(上手な文体で退屈はしないが)
で、引っ張って引っ張って、
特に結論も出ずに主人公死亡エンドだ。
なんだか肩透かしを食らった気分だ。
元は新聞小説だったから、
連載形式で、途中盛り上がれば、
落ちはどうでもいい長編漫画的だったかも知れない。
その辺に限界を感じた。
作家なりのテーマ性が結構薄くて、
おもろいネタでちょっと引っ張ったろ、
くらいの悪意すら感じたなあ。
主人公死亡エンド、
夢オチ、
実は主人公は死んでた、
あたりは、やっちゃいけないタブーだな。
その禁じ手を破るには、
新しい歴史に残るパターンを考えた時だろうね。
それらがあったとしても、
「それはこのような意味があり、
ストーリー全体ではこのような意味をいっている」
があれば、それらは強力な道具になる。
しかし平凡な書き手にとっては、
なんだかうまく逃げた感じの、
素敵な煙幕になる、
禁断の道具にすぎない。
その煙幕はすぐにばれるぞ。
2019年11月10日
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