2019年11月10日

主人公を安易に殺してはいけない

それは、結論から逃げることになる。
最後までケツ持ちをするべきだ。


初心者の書くストーリーのありがちな落ちが、
主人公死亡エンドだ。
(行方不明でも同様)

それは、自分で決着がつけられなかったことの、
敗北宣言だと僕は思う。

「マトリックス」三部作のエンドはひどかった。
新しい救世主に目覚めたネオの全能感は、
死亡エンドによって、
「この世界の存続の意味」が有耶無耶になってしまった。
「でもわたし、すぐ帰ってくる気がするの」
なんてラストで締められてもなあ。
ネオがこの世界を救い、
マシンを征服し、
人類を解放するエンドではなかったのが、
大変モヤモヤする。

そしてそのようなモヤモヤを残すべきではない、
ということは、以前も議論したかと思う。

死亡エンドは、責任から逃げていると思う。
「主人公の行動には意味があったのだ」と、
結論づける責任からである。

それから逃げるために、
「なんだか尊いことをやったのだ」
みたいに、死者に鞭打てないように反論を封じるやり方は、
気にくわないし、ずるいと僕は思う。

無論、「進んで死ぬしかない」
という結論に達した上で、
自ら死んでいくことはアリかもしれないが、
生きて世界を救うほうが、
意味としては強くなると思う。
その責任を放棄して、死に酔っている、
と非難して過言ではないと思う。


「氷壁」を読み終えた。
長かったわりには内容が薄くてびっくりした。
半分くらいの内容を、
丁寧に水増ししている印象を受けた。
例のナイロンザイル事件をモデルにした小説だが、
水増しして引っ張ることで、
本来の事件の発展を待とうとしたのだろうか、
と訝るほどに展開が遅かった。
(上手な文体で退屈はしないが)

で、引っ張って引っ張って、
特に結論も出ずに主人公死亡エンドだ。
なんだか肩透かしを食らった気分だ。

元は新聞小説だったから、
連載形式で、途中盛り上がれば、
落ちはどうでもいい長編漫画的だったかも知れない。
その辺に限界を感じた。

作家なりのテーマ性が結構薄くて、
おもろいネタでちょっと引っ張ったろ、
くらいの悪意すら感じたなあ。


主人公死亡エンド、
夢オチ、
実は主人公は死んでた、
あたりは、やっちゃいけないタブーだな。
その禁じ手を破るには、
新しい歴史に残るパターンを考えた時だろうね。

それらがあったとしても、
「それはこのような意味があり、
ストーリー全体ではこのような意味をいっている」
があれば、それらは強力な道具になる。

しかし平凡な書き手にとっては、
なんだかうまく逃げた感じの、
素敵な煙幕になる、
禁断の道具にすぎない。
その煙幕はすぐにばれるぞ。
posted by おおおかとしひこ at 19:44| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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