2019年11月15日

ストーリーは何層にも重なっている

1 主人公が、メイン問題を解決する。
2 主人公が、自分の内的問題を解決する。
3 1と2で、これの意味を示唆する。
4 他の人が、その人の目的を達成する。
このよっつの層が重なっていると、僕は思う。


1 主人公が、メイン問題を解決する。

物語は、これがメインである。
何か大がかりな事件が起こる。
(ショートストーリーでは小規模な事件。
つまり、事件の規模が全体尺と大体比例)

それに主人公が巻き込まれ、
解決の意志を示し、
実際に行動して色々な壁を突破して、
ついに解決する。

それが物語の一番の背骨だ。
これをメインプロットという。

CMのような短い尺だと、
「台所の汚れが困った!」
「そんな時これ!」
なんてすぐにメインプロットが、
他者(商品)によって解決してしまうことがある。
これは面白くない。
主人公が自力で解決することが物語である。
つまり、しょうもないCMは物語ではない。
(もちろんCMでも立派な物語になっているものはある。
しかし一時期にくらべてしょうもないプロットしかなくなってしまった)

主人公が、自ら、自力で、解決することが、
物語に求められていることだ。
もちろん協力者がいてもいいが、
メインを張るのは主人公だ。
主人公とは、
問題を解決するメインの人、という定義をしてもいいくらいだ。
ずっと映っている人ではない。

また、それまで何もしなくて、突然物事を解決する人も、主人公に相応しくない。
そういうのはデウスエクスマキナと言われて、
物語ではないとされる。
ずっとその人を追いかけて、
その人自身がついに解決することが、
メインプロットに必要な条件だ。

これがちゃんと書けていないから、
誰が主人公か分からなくなったり、
解決感が薄かったり、
主人公が誰かに頼りっぱなしになっている(メアリースー)。

また、それは面白い解決でなければならない。
問題の発生、主人公の関わり、
次々に突破されていく障壁、
ついに見事に解決する爽快感、
そのようなものが、メインプロットに必要だ。

それが出来ていないから、そもそも面白く無いストーリーなのだ。
主人公がすること、主人公が解決することが、
面白くないものは、面白くない話である。
これ以降の何かを強調しすぎて、
ここがおろそかになると、ちっとも面白く無い。


2 主人公が、自分の内的問題を解決する。

単に起こった問題を解決することなら、それは何も面白く無い。
主人公はもっとも困難なことを解決しないと面白く無い。
つまり、外的な要因を解決するだけでなく、
主人公自身の問題も解決することにならないと、
面白くならない。

「その人がもっとも困難なミッションを、見事に解決すること」が物語だと思うとよい。
それは結局、弱点とどう向き合うのか、
どう克服するのか、という物語になるだろう。

ストーリーというのは、問題はひとつではない。
現実と同じように、いくつかの問題が同時に発生する。
それをひとつひとつ解決していくのはそんなに面白くない。
同時に、見事に解決することが、爽快である。

内的問題がないものは感情移入が困難になる。
弱点を抱えている人はたいてい魅力的になるからだ。

気を付けるべきことは、
作者自身の弱点を主人公に与えないことだ。
自分で解決していないことを解決できるわけがないからだ。
リアリティや説得力がないからだ。

もっとも、
自分の弱点を克服することを作品内で書き、
ほんとうに弱点を克服してしまえるなら、
それはとても実感がこもった、肉声のものになるだろう。
創作はある意味バーチャルワールドであり、
そこで起こった経験や、成長は、
リアルワールドに還元できればほんものである。
ただそんなに都合よく行かないので、
たいていご都合主義に陥ってしまうことは覚悟したほうがよい。
それを避けるために、
自分の弱点を克服することはしないように、ルールを定めておくといいだろう。


3 1と2で、これの意味を示唆する。

なんらかの問題を解決して、
ハイおしまい、というのは物語ではない。
ただの報告である。
それが結局どういう意味があったのか、
ちゃんとまとまってることが物語だ。

それは簡単で、
人生を総括出来るのか、ということに尽きる。

ある人の人生がありました。
こういうことをしました。
この人の人生の意味って?
という問いを立てればいいのだ。

この人は立派な人だ、この人は、こういう意味の人生だったのだ、
ということが言えるようなものが、
ちゃんとした物語だ。

偉大でなくてもよい。よわよわでもよい。
それはそれなりに意味があるだろう。
我々にそうした示唆を与えない物語は、
ただのから騒ぎだ。

意味を与えようとして、
解説してしまうのは最低だ。
そういうのはウィキでも書いていればいい。
物語形式で語るということは、
その意味を明示してはいけないということである。
物語は、その意味は暗示でやるのが暗黙のルールだ。

だからその人の人生の意味を考えるとき、
「〇〇〇〇」というような、正解の言葉があるわけではない。
だいたい〇〇〇〇だと感じられるようなものがあり、
文字通りではないけれど似たような意味のことを、
見た人が感じられるようになっているのが、
ちゃんとした物語である。

たいてい主人公の弱点克服と、
問題解決の過程において、
そのことが埋め込まれている。
その克服は偉大だったとか、その達成は偉大だったとか、
誰もなし得ていないことだったとか、
こういうときはこうすればいいのだとか、
そうしたことが、貴重な人類の遺産になるわけだ。

最も偉大なストーリーを書く必要はない。
ある個人の小さな話ですら、
このような、誰にでも教訓や範とできるような、
何かしらを残せるとよい。

これがないものがテーマがないと言われるわけだね。
テーマを描こうとしても描けるものではない。
それは、自然にしみだしてくるようなものであるべきで、
それは主人公がなし得たことと関係している。

面白かったけど、これ、なんも意味ないやんけ。
そういうものは、テーマがない、ただのから騒ぎだ。
二時間損したと、僕なら思う。


4 他の人が、その人の目的を達成する。

主人公だけが目的を達成するだけだとしたら、
ストーリーはそんなに面白く無い。
一人だけしかでていない物語になってしまうだろう。

世の中は沢山の人がいるし、
人は一人じゃ生きていけないし、
だから、いろんな人と主人公は揉めることになる。
敵対する場合もあれば、
呉越同舟になる場合もあれば、
一時休戦して協力する立場になることもあれば、
敵になったり味方になったりすることもあるだろう。

主人公だけが目的を持っているわけではない。
他の人も目的を持っている。
だからそうなるわけだ。

その人がそれを最終的に達成できるか、
ということも、その物語の中で語られるだろう。
それが、主人公の物語と同様テーマを持っていることもある。
これをサブプロット、サブテーマというわけだ。

主人公は、メインプロット以外にも問題を抱えていることがあって、
それもサブプロットに数えることがある。
分り易いのは、恋と仕事か。
両方うまく解決しないといけない、
となったとき、複数の問題が発生するからね。

サブプロットは、
降ってわいたようなものであると、
おもしろくない。
メインプロットと関係があるべきだ。
それの派生であるべきだ。

何故なら、関係ないと、バラバラのが並べられるだけになるからだ。
ある基準によって並べられた、
作者の意図がないと、それは芸術ではない。

サブプロットがメインプロットの対比であるとか、
メインのサブ問題がサブテーマになっているとか、
そのような関係性がサブにないと、
メインとの関係性が分からずに、
これはなんの話なのか、が分からなくなっていくだろう。

また、サブのほうが重要で面白いなら、
メインが薄まり、メインが面白く無くなり、
メインを楽しむことが出来なくなるだろう。
だったら、そのサブを主人公に据えればいいのに。
(たとえば幽遊白書は、サブの飛影や蔵馬のほうが魅力的で、
魅力的なサブプロットを抱えていた。
幽助のメインプロットがそれを凌駕して面白いということはなかった。
だから、ストーリーとしてはいびつである)


ストーリーというのは、
このような、
様々の層がひとつに重なっていて、
しかもバランスが取れていなければならない。

取れていないと、いびつに感じて、
納得がいくラストを迎えられない。
(幽遊白書は、納得がいったラストではない。
そのストーリーの意味が完結していない。
まあ大抵のジャンプ漫画はそうだけど)

映画は、二時間ばかりの時間で、
それらを達成する枠組だといっても過言ではない。
脚本とは、
それをどう組み上げるかの設計書であることは、論を待たない。
posted by おおおかとしひこ at 15:33| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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