2019年11月17日

その人だけが抱えていること

それがドラマを生む。


その人だけが抱えることで、悩む。
その人だけが抱えることで、独自に行動されて、和が乱れる。
その人だけが抱えることで、誤解が起こる。
誤解は対立や排斥を生む。
その人だけが抱えることを知る時に、対立や和解が起こる。

抱えている人が複数いると、
誤解やすれ違いは更に深刻になり、
知ったり漏れたりする順番を変えるだけで、
まったく別の中盤になってしまうだろう。


それは他人に知られては困る秘密かも知れないし、
知られたら恥ずかしい思いみたいなことかも知れないし、
知られては捕まってしまう犯罪かも知れないし、
正しいことかも知れない。

主人公だけが抱える話は書けるかもしれない。
抱えがちな人は沢山いるからね。

しかし「他の人物」が一人抱え込んでいる、
という話を書くことはなかなか難しい。
そのことで一つ掌編を書いてみるのは、
練習になるかもね。
posted by おおおかとしひこ at 12:33| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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