2019年11月20日

欠点に気付いた時

前記事の続き。
「何日もかけて最初のテンションを維持する」ことは難しい。
途中で冷静になってしまい、
「これオモロイの?」と我に返ってしまう。

で、「こんなもの書く意味あるの?」と挫折する。
これを防ぐにはどうすればいいか?

事前と事後の二つある。


事後は対症療法だ。

途中で気付いたら、
とっさに矛盾や欠点を解消する方法を、
「その場で思いつく」のである。

それが近い範囲の直しで済むならこれでよい。
続けるだけの勢いを安心して維持できる。

問題は、
「だいぶ前を直さないと成立しない」
「最初から書き直さないと成立しない」
「そもそもこれを書く意味などない」
「なぜこれが行けると思ったのか」
「今まで何を勉強してきたのか」
「自分の生きてる意味などない」
「生まれて来なければ良かった」
になる場合だ。

ちなみに、
「今は執筆の勢いを殺したくないので留保するが、
最初からこのように書き直せばいけるぞ」
に関するアイデアが出たら、
それを詳細にメモして、
「そう直された前提」でその後を書き進めると良い。

どこかでまた挫折ポイントが来たとしてもまた同じことをすれば良い。
原稿に印をつけ、
「ここから以降設定A前提で」と、未来の自分にバトンを渡そう。

問題は、
「これ最初から書く意味などなかった」
ことに気づいてしまった場合だ。

こうなると何も出来なくなる。
事前の根治療法が必要である。



そもそも書き始める前の準備が足りていないことが、
ほとんどの原因だ。

どういう準備か?

「どういう面白さがあって、
世の中にどういう意味をなす」
に確信や根拠があるか?
ということ。
その準備がされているかどうかということ。

「こういうものになる」という確信があるだけでは、
ただのハッタリや勘違いである。
根拠がなければならない。

その根拠が、ログラインやテーマなのだ。
あるいは、ストーリーのなにかの部分でも構わない。
「ここがすごい面白いから面白いのだ」
という根拠だ。

それを事前にペラ一枚にまとめてみることが、
とても大事だ。

この根拠は、
設定やキャラという静的なものでなく、
ストーリーに関する動的なものであるべきだ。

展開の妙や、このタイミングでこうなるとか、
最初のこれが伏線になっていて最後にこう効く、とか、
全体で正義のあり方をこのように問うとか。

「世の中の見方を全く変える」ではだめだ。
「世の中の見方をAからBに変える」のように、
具体的に書くこと。
それがこれで出来るかどうかがチェックできる。

いや、この程度ではBには変わらんやろ、
と思ったら、そう思えるまでのなにかを事前準備しなければならないわけだ。

それが複雑怪奇なものでなく、
シンプルになるまで練られているとベターだろう。

結論まで簡単に想像できるように、
そんなものを事前準備することは、
大変難しい。

しかし挫折したときは、
「これは世の中の見方が全く変わるぞ」などのような、
甘い見積もりで見切り発車したからそうなったのではないか。
それを、確信と根拠を持ってスタートしよう、
というのが対策であるに過ぎないわけだ。

確信だけだとハッタリや詐欺や宗教に過ぎない
(企画書詐欺)ので、
確信は根拠に基づくべきだろう。


ログラインの時点で、
プロットの時点で、
ペラ一枚の時点で、
「これはこのような面白さがある」
という根拠を書くのである。
「これによって世の中が変わる。
AからBに」
と書くのである。
なぜそうかの解説を書いてみなさい。

そこに説得力が出るかどうかは、
そのプロットやログラインが「出来ているか/いないか」
と関係している。

ただ形を整えたって、
出来ていないプロットやログラインが殆どで、
ほんとうに出来ているプロットやログラインとは、
そこに面白くなり、世の中に影響を与える根拠が、
明示されていなければならないわけだ。

それがそこに書かれていれば、
執筆段階で挫折することはない。

「俺はだめだ」になることはないからだ。

「仮に執筆者としての俺が挫折したとしても、
この計画を誰かが継げば、必ず佳作以上の何かになる。
なぜならこうだからである」がある限り、
執筆者としての才能のなさを呪いながらも、
完成して世に出すモチベーションは続くからである。

設計と実装でいうと、
設計さえ出来ていれば、
実装が多少甘くても許される。

挫折するのは、そもそも設計が甘いことに、
途中で気づくことで起こる。

途中で設計に甘いことに気づいたら、
工事は中止で、設計に戻るしかない。
この時、再設計しても良くならなさそうなら、
挫折するしかないのだ。


じゃあいつまでたっても、
甘い設計→途中で気づく→挫折のループから抜け出せないのでは?

ここで前記事の「一日で書ける尺」の調査が伏線になっている。

「一日で書ける尺を、数稽古で伸ばしていく」
を鍛えるのだ。

5分完結までなら書けるなら、
15分ものを一日で書けるように、
準備するようにするのだ。

つまり、「準備の練習」を沢山するのである。

それはいずれ30分もの、60分もの、まで伸びる。
120分を一日で書くことは現実的ではないので、
最終的にそこまで伸びる必要はない。

で、せめて2日で書ききってしまえる尺を、
見積もると良い。

ストーリーは勢いでもある。
石橋を叩いて壊していたら、
元も子もない。
わーって言いながら走りきることも大事だ。

このようにして、冷静と情熱を使い分けるのである。

あとは、勢いをつけるための助走を、
どれくらいやればいいか見積もれれば、
ある程度の計画を立てられるようになるだろう。



こうしたことは、
長年やってれば大体わかることでもあるのだが、
あえて文字にしてみた。
こういうことでいいのかな、と薄々思ってる人に、
「やっぱそれしかないのか」と確信を持ってもらうためであり、
五里霧中の人に、「やっぱそれしかないのか」と思ってもらうためだ。

ストーリー作りにショートカットはない。
正攻法しかないし、正攻法をマスターするしかないし、
正攻法を磨くしかない。

ものすごい当たり前の結論だけど、
体力がいる。
posted by おおおかとしひこ at 00:47| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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