2019年11月21日

落ちの書いてない企画は企画ではない

企画書を書くとき、読むときに気をつけるべきこと。

「面白そうだなとページをめくらせれば勝ち」などとよくいわれるが、
ほんとうか?


ファーストページについてはそうだろう。
めくられない企画書は、存在しないも同然だ。

だが、めくった先の2ページ目が面白くなかったら?
その先の3ページ目が面白くなかったら?
そして最後まで読んで、
「読まなくても良かったわ」だったら?

それは企画書の意味をなしていない。
めくらせれば勝ちではない。
めくらせて、めくらせ続けて、満足させられれば勝ちだ。


ただファーストページをめくらせるのは、
ツカミが上手いだけだ。

オチまで書いてようやく満足だというのに、
ツカミだけ書いて企画書にしないことだ。
ツカミしか書かずにオチまで書かない企画書は、
詐欺か、出来ていない企画書である。


なぜなら。

映画というものは、ガワと中身のマリアージュだからである。

ツカミはガワで、オチは中身である。
ツカミしか書かないのは、
ガワしかない羊頭狗肉なのだ。


それは、ツカミだけが面白い、
オチに来たらガッカリ作品だ。
そんなクソ映画たくさん見てる癖に、
企画書がそうなっていても気づかないのは何故だ?

企画書を「映画そのもの」だと見てなくて、
「映画の触り」だと思っているからだ。

触りだけならいくらでもパンチラできるわ。
パンツを脱いだ中身の満足までが映画だ。


企画書にはそこまで書け。
そして、ツカんで満足させなさい。
ガワと中身のマリアージュを、想像させて、
「これは面白くて儲かるぞ」と思わせなさい。

僕は企画書にラストシーンを書くことを推奨する。
「こう終わる話なのだ」が企画書にあると、
中身の議論をしやすくなる。
posted by おおおかとしひこ at 13:03| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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