2019年11月21日

【風魔】密度

究極最終版をやっと一気読みできたのだが、
風魔の面白さは、密度なんだなあと思う。

週刊連載ゆえのテンポの良さは、
ストーリーの転換(ターニングポイントと技術的にいう)
に支えられていると感じた。


たとえば八将軍勢揃いしたところ。

普通ならこれから戦いが始まるための顔見せに過ぎないのに、
そこに突然小次郎が割って入って(ターニングポイント)、
ストーリーを速くする。
と思いきや風魔一族も現れ(ターニングポイント)、
しかも不知火が死ぬ(ターニングポイント)。

こうと思わせてその先を行くのが、
とても速い。

さらには一旦引いた(ターニングポイント)と思ったら、
一人、すなわち白虎に追いつかれる(ターニングポイント)。
さらには項羽は死ぬ(ターニングポイント)し、
紫炎も死ぬ(ターニングポイント)し、
白虎は項羽の顔を盗む(ターニングポイント)。

この怒涛のストーリーの折れ線の、
密度が非常に濃いと感じた。

これは車田先生の、
豪快で単純な線なのに、繊細で密度が濃い絵柄と、
関係しているように思う。

適度に省略が効いた豪快さ、
セリフや擬音の勢いと、
細かい密度の繊細さが、互いを補っていると思う。

省略が効いているからこその折れ線の速さで、
それは週刊連載(大体19pなんだっけ)の、
テンポを知り尽くした感覚なのかも知れない。


これを30分13話に再構成することは、
事実上不可能だ。
1話あたりの密度、折れ線の感覚が違う。
30分の集中力と漫画3分程度の集中力が、
違いすぎると感じた。
(実写ドラマにしてはよくやった方だとは思うけど)


今回アオリが再現されたことで、
より「次週に続く」感が出て、
メリハリが効き、
あの週刊連載の「なにい?」「テンポはええよ!」
「速くもクライマックス!」
の感じがとてもわかりやすかった。
そうそう、こんな感じで振り回されてたなあと。

この時の振り回し方は、
「前倒し」という方法論かも知れない。
まだたっぷりあると思わせて、
どんどん使って行く感じ。

風魔の疾走感の正体は、そういうことかもと思う。
キャラの無駄使い(?)も、
前倒しによる圧縮によって、
ものすごく速く過ぎ去った感じになるのかも知れない。

それがあとに寂寥感や無常感になってくるのかもね。
(これは狙ってやったことか、偶然かはわからない)


で、それはある種のストーリードーピングで、
そのテンションが切れる時が来るわけだ。
華悪崇編で何回かそういう瞬間があり、
反乱編でブツ切れになったわけで。
絵柄の変化も影響していると思う。
夜叉編のような繊細なペンワークは、
反乱編にはほとんどなかったし。
密度の高まりが、そうやって失われていったのだろう。

それでも聖闘士星矢で復活できたのは、
テンポ感を変えてきたからなのだな、
と今ならはっきりと分かる。
(ギャラクシアントーナメントで、
またダメかって思ったけど)

JC版では、
「一続きのように編集する」ような意図が感じられた。
連載版と違って、全ページで一話みたいな編集。
一巻の終わりがちょうど「風魔一族!」という大ターニングポイントで、
めっちゃワクワクしたものだ。
(そういえばそのコマのシルエットは、
竜魔、項羽、劉鵬に訂正されてたね。
JC版初版では少なくとも全然違うシルエットだった)
実写版DVD一巻の終わりは、そこを当然意識している。



テンポ感、ターニングポイントは、
全体尺から逆算される。
文庫版は文庫版で区切りが違うから、
またテンポ感は違うかも知れない。
(今貸してるので手元にない…)


原作の版って、

ジャンプ連載版
JC版
文庫版
コンビニコミックス版(ドラマ化の時の)
究極最終版

だよね。
なんか全部比較したくなってきたぞ…
ジャンプ版をどうやって入手するかだな。
JC版(ほぼ初版)は実家にあるはず…
posted by おおおかとしひこ at 14:39| Comment(0) | 実写版「風魔の小次郎」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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