リライトの時に、
俯瞰したり砂かぶり席に行ったりすることは、
とても重要である。
自在な視点移動こそが作品を多角的にチェックすることになるからだ。
で、最も俯瞰で見る方法。
歴史学者のように整理してみるのだ。
つまり、「そのストーリーに関係ある最初のこと」
から、「そのストーリーが終わる最後のこと」
まで、
子細に、順番に書いてみるのだ。
のちのち明かされる「実は30年前こういうことがあって…」
とかも、全部知ってる前提で書くのである。
ただ本編中で「伏せられた事実」というのは非常に重要なので、
そのようなものについては、()で括っておいた方が、
あとで纏めて見るときに役に立つだろう。
そのことをいつどうやって知るかもドラマなので、
そこから「知る時点」へ線で結んでおいてもよい。
これらを作る目的は、
「本当には一体何が起こっていたのか」
を作者自身が整理する、
神の視点になるためである。
勿論これは、物語が全部終わったときに、
観客全員が理解しているべきことと一致する。
これを「どのように知って行くか」をコントロールすることが、
「語り」だと思う。
つまりこれは、
「語りそのもの」と、「語られる内容」を分離して整理しよう、
ということに他ならない。
リライトで混乱することは、
「語られる内容そのものの変更」なのか、
「語り方(順番や前提)の変更」なのか、
「語り口の変更(ガワ)」なのか、
自覚できなくなってしまうことだ。
何かを変更したときに、
何が変更されていて、
何が変更されていないかを、
作者自身が見失うことが多々あり、
そうならないための基礎資料を作ろう、
というのが本稿の目的なわけだ。
「30年前の殺人がAに関係あったのだ」
→「関係なかった」に変更するのは前者の変更で、
それを冒頭に示す→どんでん返しに変更するのは、
中者の変更であり、
「登場人物の自白」→「ニュース記事」の変更は、
後者の変更である。
変更や改変を、どのレイヤーでやっているのか、
混乱してしまわないことだ。
で、「本当には何が起こっていたのか」を整理すると、
その基礎が出来上がるというわけだ。
それぞれの登場人物視点で別個に纏めてもよい(列伝体)し、
全体で纏めてもよい(編年体)し、
いくつかのブロックに分けて時系列で纏めてもよい。
とにかく作者自身が俯瞰できるためにやるのだ。
これをやると、ふとしたことに気づく。
矛盾や無理などにである。
「あれ?これをここで何故やったのだ?
あの時点でやった方が良かったのでは?
何故ここまで遅れたんだっけ?」とか、
「何故Aなんだ?Bじゃいけないのか?」とか、
「この時点でこういうつもりだったのに、
次の時点ではそれが消失している。何故だ?」とか、
「何故ここであれを言わなかったのだろう?」とか、
「ここでこうするべきなんじゃないか?」とか。
俯瞰で見ると、
気持ちのことはどうでもよくなり、
合理が見えて来やすい。
つまり、理屈、理由、動機、矛盾、
などが見えやすいのである。
年表を書くのもさらに良い。
細かいことを省いて、重要なことだけに減らしてみよう。
さらに俯瞰的になってくる。
一年一行(一年かどうかはストーリーに必要な出来事の尺で変わってくる)
で、たとえば書くと良い。
出来れば紙を20等分くらいに折って、
時系列を記すとよい。
たとえば30年前の殺人と今が関係しているとしたら、
空白の30年にできたことあったやろ、
に答えられないと、
矛盾(足りてない)と自己診断できるわけだ。
ここからここが空きすぎてるとか、
このへんは密度が高い集中時期なのだなとか、
連鎖が途切れてるとか、
そうしたことも年表をビジュアル化することで、
見えてくると思う。
あなたはジャーナリストだ。
あるいは歴史学者だ。
この顛末全てを、
起こった順序で並べて俯瞰して、
矛盾がなく理解できたら、
あとはどう語るかを考えればいいだけのことだ。
この時語り部に戻ればよいだけだ。
2019年11月22日
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