2019年11月22日

【薙刀式】指は喋る

親指シフトのいうところの、「指が喋る」現象は存在する。
僕は親指シフトで、ではなく、薙刀式でそれをやっている。


どういう状態かというと、
「思考が画面に漏れている状態」ということ。
脳とディスプレイの文字が一体化していて、
指は消えているような感覚のこと。
考えたら勝手に文字化されるような状態ということ。

だから、「ちゃんと考えてない、散発的な思考」も、
そのまま文字化されてしまうってこと。

つまり、書く前に「ちゃんと思わなくてはならない」
が存在したりする。


思考入力は雑念を入れてはいけない、
なんて冗談で言われるが、
僕と薙刀式は、もはやそのへんの関係になりつつある。

流石にブログを書いてる途中に、
「腹減った」とか「パンチラ見えた」とか書くことはないが、
散漫な思考の時、まとまってない状態で、
ずるずると文字化されてしまい、
あとで読むと訳がわからないこともあったりする。

つまり、正しく手を動かす段階は過ぎていて、
正しく思わなければならない段階に来ている。


指が勝手に喋り出すだろうか?
「こう書くぞ」と意識を集中してない時の思考も漏れちゃうから、
指は勝手に喋っている(強い制御を必要とせずダラダラ書いちゃう)、
という事もできる。
手癖で書いてる時もある。
あと「喋る」のレトリックだと、
しゃべり言葉の方が書き言葉よりボキャブラリーが少ないよね。
「指が勝手に自動書記」くらいでないといけないよね。

たまにダーっと走り出したくなるように、
たまにダーっと何でもいいから書きたい時がある。
それはオレが書いているのか、指が書いているのか。

そんな境地にはなっている。

たまにほとんど打った事ない言葉を打つことがあり、
その時は指が喋らなくなる。
この時意識(指を動かす意識)を取り戻しているかもしれない。

考えと制御という単純な二項対立ではないものが、
人間にはありそうだ。
ふたつはアナログだから混じり合うようだ。
手癖は語尾などの癖だけではなく、
考え方そのものにもあるわけだし。


もちろん、それが親指シフトの人もいれば、
飛鳥や新下駄の人もいるだろう。
薙刀式でもその境地があることが分かった。

で、薙刀式は「小さい」配列のため、
そこへ行くペースが速いのではないか、
と仮説を立ててみる。
人にもよるけど、半年もかからないんじゃない?


僕は考えるときに脳内発声がない。
親指シフトは脳内発声があるので合わなかった。
脳内音声を介さずに僕は書いたり読んだりしたいのだ。

だから親指シフトが「指が喋る」のだとしたら、
薙刀式は「指が思う」と言うべきかもだ。
posted by おおおかとしひこ at 10:57| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。