親指シフトのいうところの、「指が喋る」現象は存在する。
僕は親指シフトで、ではなく、薙刀式でそれをやっている。
どういう状態かというと、
「思考が画面に漏れている状態」ということ。
脳とディスプレイの文字が一体化していて、
指は消えているような感覚のこと。
考えたら勝手に文字化されるような状態ということ。
だから、「ちゃんと考えてない、散発的な思考」も、
そのまま文字化されてしまうってこと。
つまり、書く前に「ちゃんと思わなくてはならない」
が存在したりする。
思考入力は雑念を入れてはいけない、
なんて冗談で言われるが、
僕と薙刀式は、もはやそのへんの関係になりつつある。
流石にブログを書いてる途中に、
「腹減った」とか「パンチラ見えた」とか書くことはないが、
散漫な思考の時、まとまってない状態で、
ずるずると文字化されてしまい、
あとで読むと訳がわからないこともあったりする。
つまり、正しく手を動かす段階は過ぎていて、
正しく思わなければならない段階に来ている。
指が勝手に喋り出すだろうか?
「こう書くぞ」と意識を集中してない時の思考も漏れちゃうから、
指は勝手に喋っている(強い制御を必要とせずダラダラ書いちゃう)、
という事もできる。
手癖で書いてる時もある。
あと「喋る」のレトリックだと、
しゃべり言葉の方が書き言葉よりボキャブラリーが少ないよね。
「指が勝手に自動書記」くらいでないといけないよね。
たまにダーっと走り出したくなるように、
たまにダーっと何でもいいから書きたい時がある。
それはオレが書いているのか、指が書いているのか。
そんな境地にはなっている。
たまにほとんど打った事ない言葉を打つことがあり、
その時は指が喋らなくなる。
この時意識(指を動かす意識)を取り戻しているかもしれない。
考えと制御という単純な二項対立ではないものが、
人間にはありそうだ。
ふたつはアナログだから混じり合うようだ。
手癖は語尾などの癖だけではなく、
考え方そのものにもあるわけだし。
もちろん、それが親指シフトの人もいれば、
飛鳥や新下駄の人もいるだろう。
薙刀式でもその境地があることが分かった。
で、薙刀式は「小さい」配列のため、
そこへ行くペースが速いのではないか、
と仮説を立ててみる。
人にもよるけど、半年もかからないんじゃない?
僕は考えるときに脳内発声がない。
親指シフトは脳内発声があるので合わなかった。
脳内音声を介さずに僕は書いたり読んだりしたいのだ。
だから親指シフトが「指が喋る」のだとしたら、
薙刀式は「指が思う」と言うべきかもだ。
2019年11月22日
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