しとしと降る雨。
土砂降り、嵐。
晴れたり曇ったり、嵐の去ったあと。
これらが登場人物の心情を示すのは、
とてもよくある方法で、しかも飽きられていない方法である。
それは、
「しとしと降る雨が○○を示す」
などと一対一対応をしてないからだと思う。
なんだかもやもやした気持ちや、
沈んだ気持ちや、
前に進まない感じや、
ひと休止して過去を見つめなおす感じや、
完全休養したい感じなど、
微妙に違う気持ちを、
「しとしと降る雨」で象徴できる。
もちろんそれまでの文脈があり、
ただ主人公が窓の外の雨を見つめて無言でいても、
それが伝わることが前提だけど。
激しい雨は悲しみだけでなく、怒りを表す時にも使う。
ショックや驚きで雷が鳴ることもあるだろう。
破れかぶれの気持ちを表現することもできる。
アンニュイから激情まで、
多くの感情が生まれたら、
それは雨で表現することもできる。
セリフや態度やアクションだけが芝居じゃない。
ほかのやり方もあるということだ。
雨に関する表現が多いのは、
日本が雨の国だからだと思う。
ハリウッド映画に雨の場面がほぼないのは、
ロスの年間降水量が、夏場ほぼ0という地理的事情も関係している。
(もともと砂漠に都市を作った。
晴れが多いから撮影計画が立てやすかった)
「水割りをください」で始まる堀江淳の「メモリーグラス」のサビは、
「あいつなんかあいつなんかあいつなんか
ただの通り雨」だ。
こういう風に雨の表現は使いたいものだ。
2019年11月24日
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