2019年12月07日

設定、目的、ストーリー

面白い話は、設定もストーリーも面白いものである。

設定が面白くないストーリーは興味が持てないし、
設定だけしか面白くないストーリーは出落ちだ。
両者は両輪である。

ところで、それ以外の面白さも「面白い」
の中に入ってきてしまうことがある。


たとえば、旅行の面白さ。

物珍しいものを見る面白さは、旅行の主な楽しみだが、
これと似たような面白さは映画に組み込まれることがある。
行ったことのない外国の話、
知らない世界の話、
知らない職業の話、
知らない時代の話などは、
その一つ一つが面白ければ、「面白い」と言われる。
(だからといって、ストーリーが面白くない可能性もある。
ここで議論しているのは、
純粋なストーリーについてだ)

たとえば、音楽の良さ。

パワフルで感情を揺さぶる音楽、
心地よくてずっと聞いていたい音楽、
誰もが知っていて一緒に歌いたくなる音楽。
そうやって感情が揺さぶられたら、
ストーリーが並でも「良かった」ってなる可能性が高い。
「ボヘミアンラプソディー」は、
音楽は最高だが、ストーリーは並以下の映画だった。

同様に、
演者の良さ、芝居の良さ、ギャグのキレ、
絵の良さ、などについて、良ければ、
「面白かった」なんていう人もいる。
それはストーリーそのものの面白さではなく、
脚本で書くべきことではないということについては、
これまで議論してきたことだ。

ここは脚本論を議論する場所であり、
その他が物凄く面白くても、価値は0だと考える。


ところで、
設定の面白さとストーリーの面白さは、分離できるだろうか?

両者は両輪であると最初に述べたが、
表裏一体のこともあるのでは?
逆に、そういう時はどういう時だろうか?

問いを変えれば、
設定とストーリーが不可分である時は、どういう時か?



たとえば、
「キャラ設定に目的が入っている」パターンがある。

「身体の48個を奪われたため、
それを一つ一つ取り戻して行く」
というのは「どろろ」の百鬼丸だが、
これは彼の設定の中に目的が不可分に入っている。

つまり、彼の目的こそが設定の場合だ。

実のところ、
このパターンのキャラクターは、
話が進めば進むほど、
目的を半ば達成してしまうことからくる、
キャラのブレに悩むことになる。

実際、どろろは打ち切りで、百鬼丸の闘いの半ばで終わってしまい、
後半の目的の無さとどう向き合うのかは不明だ。
大抵の場合は、
それ以上の目的が新しく出来て、
「身体を取り戻す、かつそれを成す」になる。
そうやって追加設定を追加目的として、
ストーリーは進んでいくことになるだろう。

失敗例は、漫画「ファイアパンチ」に見ることが出来る。
主人公の設定の中に「復讐」という目的があるために、
それを成したあと、話の方向性がなくなってしまうのだ。
ドマを殺したあと、一体何がしたいのか分からないほど迷走したが、
ストーリーとは目的であるということが分かれば、
なぜ詰まらなかったのか理解できるだろう。


世界の設定に目的が含まれることもある。
「7つ集めると願いが叶うドラゴンボールがこの世界にあり、
みんなが探し求めている」
という世界を設定してしまえば、
皆の目的は自動的に設定されてしまう。
「こういう世界の話だから」と、半ば強引に納得があるわけだ。

ただ「そうだから」と提示されたものに、
本気で感情移入するかは別問題である。

悟空がドラゴンボールを集めることは、
そこで事件が起こるための、
「ストーリーの為の設定」に過ぎず、
我々は本気で「ドラゴンボールは集まるのか?!」
とハラハラするわけではない。

しかしそれが、
「クリリンが庇って死んだので、
クリリンを生き返らせたい」と動機が足されると、
ドラゴンボールを集める目的に感情移入することになる。

感情移入とは、感情的な肩入れのことだと思うと、
わかりやすいかもしれない。

感情的な肩入れだから、
設定が好みなら勝手に感情移入する人もいるし、
物語的に入れ込まないと感情移入しない人もいる。

誰もが感情移入するのがベストだから、
それは設定ではなく、ストーリーでやった方が良い。

ドラゴンボールの世界に百鬼丸がいて、
身体の48を集めるために、
ドラゴンボールを集めても良い。
キャラ設定と世界設定の両方に目的を分散した場合だ。

しかしこの設定が好みでないなら無視される。
だからエピソードで感情移入させるべきだ。

なぜ身体を集めたいのか、
足りない自分への恨み節など、
誰もがそりゃそうだろうと納得のいくエピソードを用意して、
「だから俺は身体の不足を埋めたい」
と言わせないと、誰もが感情移入するレベルにはならないだろう。

(原作「どろろ」では、
設定のおぞましさやおどろおどろしさは卓越しているものの、
感情移入となるとイマイチだ。
どちらかというと話を転がす為のマクガフィンのようになっている。
我々は本気で身体を取り戻す感情に同調してはいない)


ストーリーとは、
目的、行動、結果であるから、
これらのなにかを設定に埋め込み、
両方で利用することをやってみてもよい。

しかし設定はただの設定であり、
静止した何かであることは忘れてはならない。

ストーリーとは、動的な面白さであることを忘れないことだ。

旅行や音楽の面白さは、
あくまで設定の面白さと同じジャンルだ。
そうじゃない面白さが、
ストーリーの面白さであることに注意しよう。


あれ?ストーリー的に面白いこと、なんにも書いてないぞ、
などと気付ければ幸いだ。

そこから面白いストーリーへリライトして行けばよい。
posted by おおおかとしひこ at 16:19| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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